2017年04月06日

キリスト教の成立 前史1 ディアドコイ戦争後、旧約聖書の姿が固まる

 西洋文明の4柱とはギリシア、ローマ、ユダヤ教、キリスト教と言われます。最後のキリスト教について眺めることにしましょう。ここでキリスト教を見ておくことは、後のローマ史についても理解が深まることと思います。

 イエスについて触れる前に、まず背景となる歴史をおさらいしましょう。少々繰り返しもありますが、お付き合い下さい。

 アレクサンドロスの死後、広大な領土は配下の部将たちによって分割されたことは既に述べた通りです。そのうち、中東に大きな影響を与えるのはエジプトに拠ったプトレマイオス朝と、シリアを支配したセレウコス朝が中心です。エルサレム周辺はまずプトレマイオス朝の領土となります。プトレマイオス朝エジプトは、占領地から多くのユダヤ人をエジプトの整備のために連れ帰りました。そのため、エジプトにユダヤ人のコミュニティができました。

 プトレマイオス朝エジプトと言えば、アレクサンドリアの大図書館の整備でも知られますね。70人訳聖書はこの時代にエジプトで書かれます。

 独立を失って辺境の弱小都市に落ちぶれてしまったイスラエルでは、ヘブライ語は若者に見捨てられ、就職に有利なギリシア語しか理解できない若者が増えていました。現代で言語が消滅していっているのと同じ構図です。そこで、元老たちは、言語はともかくとしてユダヤ教の伝統を若者に伝えるため、旧約聖書をギリシア語に翻訳したのです。

 モーゼ5書とも言われる律法(トーラー)もまた、この時代に完成されます。5書というのは、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記のことです。これらはモーゼの書いたもので誤りは存在しないと唱える人も居るには居ますが、聖書研究から、先行する主に4種の文書からなることが分かっています。神をヤハウェと呼ぶもの(J)、エロヒムと呼ぶもの(E)、申命記法(D)、祭祀法典(P)の4種類です。

 さて、古代イスラエルの項で書きました通り、イスラエル周辺は通商の要地ですから、必然的に大国の角逐の舞台となります。


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2017年04月07日

キリスト教の成立 前史2 セレウコス朝シリア勢力の後退と、祭司が権力を握るエルサレム

 プトレマイオス朝エジプトと争うことに成るセレウコス朝シリアは、アレクサンドロスの部将だったセレウコス1世が建てた国でしたね。前300年頃、セレウコス1世はアンティオキアを建設し、首都に定めます。

 このアンティオキアは頻繁に地震に見舞われることになります。建設以来1872年に至るまで18回の大地震を経験しているそうで、平均すると112年に1回の割合になります。その度に街は破壊され、再建は15度に及ぶそうです。何度かは放棄されているのですね。1872年を最後に大人しいのですが、それは大地がエネルギーを貯めこんでいるということですから、次の大地震が心配です。

 建国から1世紀ほど経った前200年、エジプトのプトレマイオス4世が死に、僅か5歳のプトレマイオス5世が即位すると、これを好機と見たアンティオコス3世は西方へ遠征、ガリラヤ湖の北方にあたるパニオンでプトレマイオス朝の軍を破ってシリアの支配権を握り、パレスチナを属州の1つに組み入れます。

 エルサレムは自治領として認められ、長老会議が行政を司ります。もっとも、長老会議の議長は神殿の大祭司が兼ねましたから、大祭司の権力が突出していました。権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗するという金言がある通り、絶対的な権威のもとで富の偏在化が進み、階級間の緊張は高まります。

 こうした中で、アンティオコス3世の元へ敗軍の将となったカルタゴのハンニバル・バルカがシリアへ亡命します。彼の影響もあって、マケドニアのフィリッポス5世と結んだアンティオコス3世はギリシアへ出兵します。ローマも対抗して出兵し、両軍は前191年にテルモピュライで激突します。テルモピュライと言えば、ペルシア戦争でスパルタのレオニダス王が守った隘路でしたね。今回の戦いでは、ローマがシリア・マケドニア軍を破り、アンティオコス3世はシリアに引きます。

 アンティオコス3世は軍備を整えて再び西方を目指しますが、今度はハンニバルを打ち破ったスキピオ・アフリカヌスも参謀として参加するローマ軍を率いて立ち塞がります。散々に打ち破られたアンティオコス3世は莫大な賠償金を要求されます。


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2017年04月08日

キリスト教の成立 前史3 マカベア家のイェフダの活躍により、エルサレムは独立を回復する

 パレスチナはそれまで寛大な扱いを受けていましたが、アンティオコス3世は賠償金を払うために搾取を初めます。それだけでは飽き足らず、神殿からも略奪を働きます。既に見てきた通り、神殿には莫大な財産が集められていましたから、それを狙ったわけです。しかし、それは同時に信仰心の証でもあるわけなので、パレスチナではアンティオコス3世への反発が高まります。結局、前187年にスーサの神殿を略奪しようとしたアンティオコス3世は反感を買い、暗殺されてしまいます。

 息子のセレウコス4世が即位しますが、彼はエルサレムの神殿を略奪しようとして、これまた暗殺され、弟のアンティオコス4世が後を継ぎます。弟のアンティオコス4世はエジプト征服に乗り出しますが、ローマの介入があり、失敗に終わります。

 権力者からこれだけ狙われるということは、エルサレムの神殿に集められた富が多かったことを示しています。

 エジプト征服を諦めたアンティオコス4世はエルサレムを占領し、街ギリシア化を図ります。彼は圧制を敷きました。神殿ではゼウスが祀られ、前167年にはユダヤ教遵守禁止令によってユダヤ教の信仰は死刑をもって禁じられました。

 憤懣が高まる中で、ハスモン家マッタティアをリーダーとした反乱が起こります。マッタティアは間もなく病没しますが、後を継いだ3男のイェフダは軍事的才感に優れており、セレウコス朝の討伐軍を4度に渡って撃退します。イェフダは鉄槌(マッカビー)のあだ名で呼ばれるようになり、やがて反乱軍全体をそう呼ぶようになります。

 前164年、イェフダはエルサレムへ軍を進め、神殿の丘周辺からセレウコス朝を駆逐して神殿からゼウスを排除します。今も祝われるハヌカーの祭りは、この功績を記念するものです。この後もセレウコス朝との戦いは続き、イェフダの戦死やイェフダの弟のヨナタンがセレウコス朝から総督に任命されながらも裏切りによって殺されたりといった事件がありますが、最終的には前141年に彼らの兄のシモンがエルサレムを扼すアクラ要塞を落として独立を回復させます。以後、ポンペイウス率いるローマ軍が到来する前63年まで独立を得ることになります。

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2017年04月09日

キリスト教の成立 前史4 ファリサイ派、サドカイ派、そしてエッセネ派の存在について

 第2神殿時代と呼ばれるこの時期、ユダヤ教内でファリサイ派と呼ばれる勢力が力を伸ばしていきます。ファリサイとは、ヘブライ語で「分離された者たち」を意味する言葉で、由来ははっきりしません。彼らが律法を厳格に守るため、その他一般の人々とから自分たちを分離した者としていたという説があります。

 新約聖書ではナザレのイエスと論争を繰り広げる彼らですが、イエスの時代には実はイエスとファリサイ派の関係は悪くなかったとも言われます。福音書が書かれた時期の状況が遡って過去に投影され、イエスによるファリサイ派非難が生まれたのです。この辺りはもう少し後に見ることにしましょう。

 このファリサイ派、先述の通り律法を厳格に守る他、貧しい民衆に寄り添い、ヘレニズム文化の導入には批判的だったとされています。もう1つ有名な派閥であるサドカイ派は、富裕層を中心に信者を得ており、ヘレニズム文化の受容にも寛容だったと言われます。

 富裕層は支配層であるローマの人々と触れ合ったり、交易を通じて他国の事情を知っていたりしますから、アンチになりにくいのかも知れません。

 後にユダヤ人がローマに対して反乱を起こし、神殿が破壊されて故国からも逐われることになった際に、律法に重きを置いたファリサイ派は民衆の尊敬を集め、彼らを主流派の立場に押し上げていくことになります。

 ユダヤ教内の宗派では、最後にエッセネ派についても触れておきましょう。彼らは『歴史の中の『新約聖書』』の言を借りれば、「荒野の修行者」です。イメージとしては、ゴータマ・シッダルタが悟りを開く前に行った修行のような感じで、粗衣粗食に耐え、肉体的・精神的に厳しく己を律することで、神に対して義を見せようとする人々です。エッセネ派についてはもう少しの間、覚えておくことにしましょう。

 ハスモン家によるユダヤ支配は兄弟喧嘩で幕を閉じることになります。前67年、女王シュロムツィオン=アレクサンドラが没します。その2人の息子が王位を巡って争います。まずは弟のアリストブロス2世がサドカイ派の支持を得て王位につき、これに異を唱える兄のヒルカノス2世はナバテア人の支援を仰いでエルサレムを包囲します。


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2017年04月10日

キリスト教の成立 前史5 ローマ内戦のゴタゴタの際、上手く権力者に取り入ったヘロデが力を握る

 ローマのポンペイウスはちょうどこの頃、アルメニア遠征でダマスカスを占領していました。そのポンペイウスが絶好の機会とばかりに介入してきます。

 兄弟は2人ともポンペイウスの力を利用しようとしますが、アリストブロス2世は捕らわれ、ヒルカノス2世は王号を剥奪された上に傀儡政権のトップとしてエルサレムに残ることを許されます。こうしてエルサレムは独立を失い、ローマの傀儡を戴くことになったのです。

 この頃、エドム(イドゥメア)人のアンティパトロスが台頭してきます。

 状況が大きく変わったのは、ローマにおける権力闘争の結果、前48年にポンペイウスがカエサルに敗れたことから起こりました。機を見るに敏なアンティパトロスはカエサルを支持し、この功でユダヤ総督に任じられます。おまけにカエサルはアンティパトロスの2人の息子、長男ファエサルをエルサレム総督に、次男ヘロデをガリラヤ総督に任命します。ハスモン家のヒルカノス2世は大祭司職を認められましたので、政治と宗教で権威を分けたということになりますね。

 ヘロデはガリラヤでローマの支持者として民衆反乱を鎮圧したことに見られるように、ローマ側に立って功績をあげます。

 前44年にカエサルが暗殺され、ローマが内戦に忙殺されて占領地への監視が緩んだ隙に、ハスモン家のアンティゴノス・マッタティアがパルティア人の後押しを受けてガリラヤ、エルサレムを相次いで占拠します。ヘロデの兄ファエサルは捕虜となって自害して果て、ヒルカノス2世は耳を切り落とされます。大祭司には傷のないことが条件とされていましたので、ヒルカノス2世は資格を失ったことになります。

 ヘロデはローマに逃げ込み、マルクス・アントニウスの推薦によって元老院から属王に任じられます(これより前、父親のアンティパトロスはユダヤ人によって毒殺されていました)。ローマ軍を引き連れてエルサレムに戻ったヘロデは5ヶ月に渡る攻城戦の末にエルサレムを陥落させ、アンティゴノス・マッタティアを処刑してハスモン家を滅ぼします。


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