2016年05月04日

ローマ プレ建国神話1 トロイ戦争から逃れたアイネイアス、イタリアへ逃げてローマ人の先祖となる

 ローマ帝国の建国物語については、紀元元年前後に活躍した歴史家リウィウスが、その史実性には疑問を投げかけながらも伝説として記しています。その伝説によると、ローマを建てたのはロムルスとレムスという双子の兄弟ということになっていますが、ここではもう少々歴史を遡りましょう。

 トロイ戦争でトロイア側に立って戦い、ヘクトルに次ぐ勇士と謳われたアイネイアスは、プリアモスの娘クレウサを娶り、息子アスカニオスを得ていました。トロイア落城の際、アイネイアスは父と息子と共に燃え盛る城から脱出します。敬虔なアイネイアスは陥落の際に守護神の像を守り、父を背負って脱出したことで、アカイア側に感心され、助かったそうです。

 アイネイアスはイタリアを目指す途中で紆余曲折を経てカルタゴに立ち寄り、その地でディドと親しくなります。このディドはカルタゴを建設したとされる女性です。フェニキアの項で見た通り、先住民からウシの皮1枚分の土地を与えると言われ、細かく割いたウシの皮で広い土地を囲って裏をかいた利発な女性でしたね。容姿は分かりませんが、利発な女王に愛されたならカルタゴに留まる決意をしても良さそうです。しかし、アイネイアスはゼウスからイタリアへ渡るよう促され、遂にディドを置いて旅立ちます。ディドは自殺してしまいました。この時、ディドはローマとカルタゴには常に憎しみと戦いがあるように、と呪いをかけたそうです。勿論、これはポエニ戦争で両国が激しく戦ったことの歴史的背景を語るものであったでしょう。

 イタリアでは巫女の力を借りて亡き父(トロイアからの逃避行中、カルタゴに渡る前にクレタ島で死去していました)の霊と会い、子孫がイタリアの英雄になると告げられます。

 更にイタリアを北上し、イタリア中西部のラティウムに辿り着いたアイネイアスは、この地の王ラティヌスの娘ラウィニアと婚約します。モテモテですね。

 ところが、ラウィニアは既にアルデアの王トゥルヌスと婚約していたものですから、トゥルヌスは烈火のごとくに怒ります。こうしてトゥルヌスたちとアイネイアスらトロイア勢との間に戦いが勃発します。一騎討ちの末にトゥルヌスを討ち取ったアイネイアスは無事にラウィニアと結婚し、新たな都市ラウィニウムを築いたとされます。

 アイネイアスの子アスカニオスはアルバ・ロンガという都市を築き、王となります。このアスカニオスから12代後に当たる、第13代目の王プロカには2人の息子が居ました。兄のヌミトルと弟のアムリウスです(但し、兄弟の順序には異説があります)。プロカはヌミトルを王にしたいと願いましたが、王位についたのは弟のアムリウスでした。

 アムリウスは兄ヌミトルの子が狩りにでかけた際に待ち伏せて殺害し、強盗の仕業に見せかけてしっかりと後顧の憂いを絶ちます。


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2016年05月05日

ローマ プレ建国神話2 アイネイアス伝説を語り継いだエトルリア人とローマの先祖の物語

 ヌミトルには娘のレア・シルウィアが残されました。アムリウスは姪を殺しはしませんでしたが、炉の神ウェスタの神殿の巫女として隔離しました。ウェスタはギリシア神話における処女神ヘスティアに相当する神で、巫女は妊娠が禁じられていました。

 ところが、軍神マルスが彼女と交わり、子を宿してしまいます。レア・シルウィアの懐妊はアムリウスの知るところとなり、アムリウスは姪に監視を付けます。そして、レア・シルウィアは双子の男児を出産しました。

 その双子こそ、ロムルスとレムスです。

 ただ、年代を計算しますと、トロイ落城からロムルスとレムス誕生までは2世代程度しか無いとのことです。双子の母レア・シルウィアは、イリアとも呼ばれています。トロイ戦争を謳ったホメロスの著作が『イリアス』だったことを思い出して下さい。イリアの名前はトロイアと深く結びついて居ます。イリアの名前と年代計算から、実はアイネイアスの娘がイリアで、その息子がロムルスとレムスである可能性が浮上します。

 双子の祖父が兄弟間で激しい闘いを演じるのにはギリシア悲劇と共通する要素があります。トロイの英雄アガメムノンの一家が血で血を洗う争いを長く続けたことに見られるように。

 ローマ建設が本当にトロイア戦争を生き延びた人物によるものなのかどうかは疑わしいでしょう。しかし、トロイア系の名前が出てくること、ギリシア悲劇そのもののような骨肉の争いが見られることを考えますと、建国神話にはギリシア文化(トロイアの影響を考えるとエーゲ海文明と呼ぶほうが適切かもしれませんが)の影響があるのは事実だと思います。

 もう1つ興味深いのは、当時のローマ付近にロミリウスというエトルリア系の氏族がいたとされることです。同じく、エトルリア系氏族にルマがありました。こちらにはローマの語源になった、という説があるそうです。更にレムスはギリシアでローマの建国者とされたロモスをローマ人がこれまたエトルリア起源とされる氏族レムミウスに結びつけたとも言われます。

 興味深いのは、アイネイアスの神話を語り継いでいたのがエトルリア人であることでしょう。エトルリア人は非印欧語族だったこともあり、文化の全容は分かっていませんが、トロイア戦争の敗者であるところのアイネイアスを建国の祖に据えていることは彼らの死生観を表しているのかもしれません。それにしても、どうしてギリシアの神話的伝説のトロイア戦争からの伝承をエトルリア人が引き継いだのか、興味がそそられてなりません。トロイアから生き延びた者が海路ギリシアを通過してイタリアへ向かったのかと思うと、アイネイアス伝説はある程度の歴史的事実を反映していると思えないこともないですね。


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2016年05月06日

ローマ 建国神話1 ロムルスとレムスの誕生と放逐 オオカミは人間を育てられるのか

 ローマにアイネイアス伝説を伝えたのはエトルリア人だと言われます。地名も建国者もエトルリアと深く結びつくことになりますね。

 その他にも、ローマで見られた剣闘士の決闘や、悪霊を宥めるための人身御供といった風習も同じです。この後で見ることになる、建国神話に見える鳥占いも同様と言われ、ローマでは鳥占官は重要な役職でした。エトルリア人はギリシア人から文字を含め色々と学んでいますから、ギリシア悲劇がエトルリア人経由でローマに入ってきていたとしてもおかしくないのです。

 残念なことに、使われていた言語は非印欧語で、文字は解読はされていません。

 他にもギリシア神話との関係を見てみますと、エトルリアにはオデュッセウスとキルケーの間の子がエトルリアを支配したとの伝説があります。ギリシア人の西進に伴い、アイネイアスが西に移ったとする伝説も西へと移ります。

 決定的なのは、トロイアが滅んだのは紀元前13世紀か12世紀とされている(とうことは前1,200年のカタストロフが影響しているように思えてしまいますが)のですが、カルタゴ建設は前9世紀頃とされていることです。

 やはり、アイネイアス伝説は実話として見ることは出来ないようです。

 さて、レア・シルウィアが生んだ双子は邪悪な叔父アムリウスによって捨てられてしまいます。レア・シルウィアについては、投獄されたとの記録を最後に姿が見られないそうですから、殺された、あるいは死ぬまで監視から逃れられなかったという説があるそうです。

 双子は槽に入れられ、川に捨てられます。

 同じような話を既に見ましたね。ユダヤ人の歴史のところで見た、モーゼがやはり川に捨てられたのでした。捨てられた子が奇縁によって生き残り、然るべき地位を回復する物語として見るのであれば、アケメネス朝ペルシアのキュロスも同様の話でした。

 さて、2人を乗せた槽は、パラティウムの丘の麓に着きます。

 無力な赤子のこと、水死はしなくとも、生命の危機にあることは変わりありません。ところが、そこへメスのオオカミが現れ、2人に授乳します。

 オオカミの群れの最下級のメンバーに迎えられてオオカミと共に暮らした破天荒な男性の『狼の群れと暮らした男』では、メスは出産から育児の間は巣に篭って、外に出ないということです。

 同時に、オオカミは群れの中で1頭のメスしか子を生むことを許されません。下位のメスが生んだ子オオカミは、上位のメスによって殺されます。群れが生き残るためには無秩序なメンバーの増加は認められないことなのです。

 これらを合わせて考えますと、双子を救ったオオカミは下位のメスで、子を殺されたばかりのため、巣の外に出る立場でありながら授乳可能な時期にあった、と考えられます。あるいは、たまたま子を生んだばかりのメスオオカミの巣の至近距離に槽が流れ着いたか、ですね。勿論、建国神話が事実なら、の話ですが。


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2016年05月07日

ローマ 建国神話2 ロムルスとレムスは祖父と共に敵を討つ

 オオカミが授乳するシーンを、たまたま複数の牧夫が目にします。そのうちの1人ファウストゥルスが双子を引き取り、育てることにします。彼らにロムルスとレムスの名を与えたのもファウストゥルスです。こうして2人は牧夫として生活していくことになりました。

 ロムルスとレムスを牧夫からローマ建国の立役者へ引き戻すことになるのは、牧夫同士の争いです。

 祖父ヌミトルに従う牧夫たちとファウストゥルスの仲間たちは牧草地を巡って争い続けていました。ある日、ヌミトルの一派はファウストゥルスたちの村を襲います。その日、たまたまロムルスは留守中でしたが、レムスは捕らえられ、拉致されてしまいます。レムスは叔父アムリウスの下へと引き立てられ、裁判にかけられます。アムリウスは刑の執行をヌミトルに任せ、何も知らぬ祖父は孫を自宅に連れ帰りました。

 裁判のくだりは少々奇妙に聞こえるかもしれませんが、ローマでは裁判は民事裁判の色彩が強くかったようです。現代の日本では刑事訴訟として民間の関与が極めて限られた世界で裁判が行われ、量刑が決められ、刑が執行されていきますが、ローマでは何を払えと言ってみたり、刑の執行を関係者に任せたりと、自分たちの揉め事は自分たちで片を付けるようにさせていました。

 帰宅したロムルスは弟が拉致されたことを知っていきり立ち、武装して奪回すべしと主張します。彼の行動を止めたのは、ファウストゥルスでした。育ての親は今こそ出生の秘密を明かす時が来たと、ヌミトルは双子の祖父であると明かしたのです。

 どうしてオオカミが授乳していた赤子をヌミトルの孫であると知ったのかは永遠の謎です。仮に手紙が括りつけられていたとしても、牧夫には読めなかったでしょう。一般人の識字率などゼロに限りなく近い時代ですから、読めたとしたら不思議です。残る可能性は双子を捨てた下手人だったということでしょうが、その場合にはファウストゥルスはアムリウス配下の人物となります。主人の命令をしっていたわけですから、露見は自分の死を意味します。そのようなことをするでしょうか?

 一方、レムスもまた己の出生の秘密を祖父から教えられます。もっとも、レムスはファウストゥルスを実の父と思っていたはずなので、なぜヌミトルがレムスを孫と知ったのかも謎です。

 何はともあれ、ロムルスとレムスとヌミトルは、彼ら一家を苦境に追いやったアムリウスに対して復讐を誓います。一党はアムリウス打倒に成功し、ヌミトルは本来得るべきであった地位に就きます。



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2016年05月08日

ローマ 建国神話3 ならず者を連れて故郷を去ったロムルスとレムスの新都市建設とレムスの殺害

 復讐を遂げた2人は故郷を去り、新たな町を建設することにします。少なくともどちらかは残らないとヌミトルの王座を継ぐべき者が居なくなってしまう気がしなくもないのですが……。しかも、黙って残ってさえいれば、王の座は転がり込んでくるはずなのです。ご都合主義が感じられますね。

 ともかく、2人は人口過剰となって政情不安になりかけている故郷から不満分子を引き連れて、かつて捨てられた彼らが流れ着いたパラティウムへ、町づくりにでかけます。その地の牧夫が2人を助けていることを考えますと、そこには既に先住の人々が居たように思います。

 2人は集団を二分し、互いに競争しながら都市を作ろうとします。しかし、その過程で別れた集団はそれぞれロムルスとレムスをトップにした派閥へと変貌していきました。

 両派はさっそくどこに都市を作るかで揉めます。ロムルス派はパラティウムの丘を、レムス派はアウェンティヌスの丘を主張して譲りません。おまけに、新都市の名前を巡っても、ロムルス派はローマを、レムス派はレモラと、互いの領袖の名に由来する名前をつけようと争う始末です。

 ヌミトルの助言もあり、彼らの争いは鳥占いによって決着をつけることになりました。運命の日、アウェンティヌスの丘には6羽の、パラティウムの丘には12羽の鳥がやってきました。ロムルス派の勝利です。

 一説に、先に鳥を見つけたのはレムスだったので、当初の約束ではレムスの勝利だったのに、ロムルスはパラティウムの丘に鳥が多く来たことから勝手にルールを変更し、多くの鳥が来た自分の方が勝ちだと主張して弟から勝者の権利を奪ってしまったそうです。

 レムスは面白くありません。当然ですね。

 彼はロムルス派が建設した城壁を飛び越え、それを理由に殺されてしまいます。少なくともロムルスが直接に手を下したわけではないそうですが、生死を共にしてきた双子の兄弟の終着点がこれなのは少々寂しい気がします。

 前8世紀にはパラティヌスの丘とクィリナリスの丘には集落があったことは分かっており、それらが後に融合して1つの村となったことは分かっています。ネクロポリスもあったそうです。発掘調査より、小屋のような集落の起源は前10世紀には遡れるそうですから、やはり神話を文字通りの事実であると考えることは出来ません。ただ、融合がローマ建国元年とされる前753年4月21日からそう遠く離れてはいないことも明らかになっていますので、建国神話はこうした歴史的事実を踏まえているのかもしれません。実際にローマが独立したポリスとしての性格を示すのは前600頃とされています。


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