2015年12月15日

古代ギリシアの科学哲学 タレス1 自然界を理性で理解しようとしたタレスとそのエピソード

 神話から離れて、自然界を理性で理解する試みを始めたのはミレトスタレスと言われます。7賢人の1人と言われるタレスは、「万物の始原は水」としました。水が生命に欠かすことの出来ないものであったり、陸地が海に囲まれていることを考えたりすると、水を始原とするのも分からないではありません。

 ただ、岩や火が本当に自ら生まれるのかと言われると困ったことになりますね。そこで、後に続く人々は何種類かの要素を考えたり、ヘラクレイトスの「万物は流転する」との言葉に見られるように要素は別の要素に変化すると主張するようになりました。そうなるとひねくれ者が現れるのは世の常で、あらゆる変化を否定するパルメニデスのような人物も現れます。

 目に見える世界は基本的な幾つかの要素からなるという考え方は、徐々に知的な人々の間では広まっていきました。

 ただし、物を細分化していけば、いくつかの基本的な構成要素に分解可能であるという考えは何も彼1人が行ったわけではなく、インドでも同様の考えがあったことは既に見た通りです。また、タレスよりも後の時代にはなりますが、中国でも万物は木火土金水の5要素からなるとする五行思想が発達しました。科学的な思考の根本にある考えなのでしょう。

 古代ギリシアの人々が幾ら考えを巡らせても、その理論は実験による検証を欠いていましたから、現代的な意味合いでの科学には程遠いものではあります。例えば、タレスは「磁石は鉄を動かすことができるから霊魂を持っている」としていますが、これは思弁のみを優先させた結果ではないでしょうか。もっとも、彼らは精密な観察を可能にする道具や、客観性を担保する測定機器を持ちませんでしたから、思弁に留まったのは仕方がないと思われるかもしれません。それは一面の事実ではありますが、彼らが思弁を極端に重んじて観察を軽んじたという事実を考えると、贔屓の引き倒しだとも思えます。例えば、かの碩学アリストテレスでさえ、物が落下するスピードは重さに依存すると考えていました。少々実験すれば分かったはずのことです。

 タレスもまた時代による限界から逃れることは出来ませんでしたが、神のような超自然的な存在を排して自然を説明しようとした最初の試みを行ったことは讃えられて然るべきでしょう。タレスを指して最初の哲学者とするのも頷けます。

 一方で、彼は面白いエピソードにも事欠きません。

 若い時、タレスは母親から結婚しないのかと聞かれ、「まだ若すぎる」と答えました。年月が経ち、また母親がおなじ質問をすると、今度は「もう遅すぎる」と答えたそうです。

 プラトンが伝える話では、タレスは夜空の観察に夢中になりすぎて溝に落ちてしまい、老婆に「学者は天文のことは分かっても足元のことはわからないのね」と笑われたということです。

 ニュートンも、研究室に住み着いた2匹のネコのためにネコ用の大きなドアと小さなドアを作ったは良いけれども、両方のネコが同じドアを使うのを見て首を傾げたというおかしなエピソードを持っていますから、天才は周りが見えなくなってしまい、このようなことを起こすのかもしれません。

 折角ですからもう少しタレスの話を続けましょう。


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2015年12月16日

古代ギリシアの科学哲学 タレス2 沖合の船までの距離を測る方法

 これらは研究熱心に過ぎた人のエピソードという感じを与えますが、次の2つのものは少々様相を異にします。

 ある時、自然哲学など何の役にも立たないでしょうと言われたタレスは、天文学からその年のオリーブが豊作であることを予想すると、オリーブの圧搾機をみな借りてしまいます。予想通り、その年のオリーブは豊作でしたので、タレスは圧搾機を貸し出しして大儲けしたと言われます。タレスにとって必要なのは、知的な探求であって金銭では無かったのですね。

 また別の時、ロバの背中に塩を載せて市場へ向かっていると、川にさしかかったところでロバが転んでしまいました。荷物が水に漬かってしまったため、塩がどんどん溶けて無くなってしまいました。荷物が軽くなったことにロバは味をしめ、次の日も同じように川で転びます。しかし、タレスの知恵はロバを遥かに上回りました。その翌日もロバは全く同じように川で転びますが、その日ロバが背負っていたのはカイメンでした、スポンジのようなものですから、水を吸って重くなります。これに懲りたロバは二度と水辺で転ばなくなったそうです。

 こちらの逸話からは、タレスが商売を営んでいたことが感じられます。タレスはエジプトに渡りますが、そのきっかけは商売だったのかもしれません。ツタンカーメンの墓から様々な産地のワインが収められた壷が発見されているように、地中海は活発に貿易が行われていましたから。

 とにかく、タレスはエジプトを訪れたことで、また有名な逸話を残すことになりました。

 その逸話こそ、ピラミッドの高さを測ったというものです。棒を地面に立て、棒とその影の長さが等しくなった時、ピラミッドの頂点が作る影を記録することで難問は解決されました。知ってしまえば当たり前の方法かもしれませんが、それまで多くの人は気づくことが出来なかったわけですから、タレスが名声を得るのは不思議な事ではありません。

 エジプトは、毎年繰り返されるナイル川の氾濫によって、耕作地が綺麗に飲み込まれてしまいます。ということは、毎年農地を平等に配分しなければなりませんから、測量技術が長足の進歩を遂げました。こうした数学が、次に紹介するタレスの功績に影響を与えていたのでしょう。

 それが、浜にいながら沖合の船までの距離を測る方法です。三角系の相似(その特殊解としての合同)を使うことで、海に一歩も入ること無く船までの距離を測量可能なのです。

 下の図を見て下さい。

沖合の船までの距離.jpg

……絵のセンスが無いのは気にしないでください。

 図の△ABCと△DBEは合同です。この場合、CBとEBを等しく設定してあげるのがポイントですね。そこで、例えばC地点からE地点まで200歩歩くとして、中央のB地点で棒を地面に立てます。E地点まで来たら、Dの方向に歩いて行き、棒と船が直線に並ぶようになったポイントがDです。

 船が遥か沖合にある、つまりACが大きい場合にはこの方法ではDEも非常に大きくなりますから、相似を使うべきでしょう。CBがEBの10倍になるように設定してやればDEの距離の10倍がACになるわけですね。これならかなり離れたところの物までの距離も分かります。

 数学関連では、他にも円は直径によって二分されることを示し、かつ直径の円周角は直角となることを見出しています。後者はタレスの定理として知られています。

 また、対頂角は等しいことや二等辺三角形の両底角は等しいこともまた、タレスが示したそうです。



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2015年12月17日

古代ギリシアの科学哲学 タレス3 タレスの時代の天文学

 こうして見ますと、彼の発見は日本の教育で言うところの中学レベルの幾何ですね。ギリシアの7賢人と謳われるほどの人が知恵を絞って辿り着いた知の世界を、10代で身につけることができることこそが、情報の持つ力でしょう。アインシュタインの相対性理論にしても、高校生レベルの物理学の知識で導くことができると言われます。それだけ新しい知の世界を拓くことは困難で、既に開けた知の世界を楽しむことは容易だということです。

 自然科学分野で言えば、日食を月が原因だと初めて主張したのもタレスです。更に、日食を予言したとも言われることもあります。ただ、食の時期を正確に知るためには天文の知識が欠かせません。ギリシアの当時の天文学に見るべきものはありませんから、恐らくはメソポタミアかエジプトの先進的な知識を得たのでしょう。タレスのエジプト行きはこうしたところでも彼の名声を高める役に立っているのですね。

 食の予言は他の地域から持ってきた知識であるとしても、彼の好奇心の広さは恐るべきものがあります。見習いたいものです。

 尚、月が太陽の光を反射して光っているというのもタレスの功績に帰せられる場合もあるそうですが、実際はアナクサゴラスとのことです。

 タレスは出身地である、小アジアのミレトスを中心に活躍しました。同時期に活躍したタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスに代表される自然科学者の一派を、ミレトス学派と呼びます。

 アナクシマンドロスは科学に関する本を残した最初の人です。タレスと同時期に、同じポリスで活躍したことは分かっていますが、師弟関係があったかどうかは不明です。

 タレスが世界の始原は水であるとしたのに対して、アナクシマンドロスは水では説明のできないものがあるからと、地、水、火、空気の4元素を唱えます。ファンタジーで地水火風を取り上げているのは、アナクシマンドロスの時代まで戻っていると言えないこともないかも知れません。

 アナクシマンドロスは天文学に関心を向けたようです。先に、月の光は太陽の光を反射しているものだとしたのがアナクシマンドロスだと書きましたね。他に、天は複数の円盤からなるとしたのも彼です。その円盤とは天の川、月、太陽で、地球の直径のそれぞれ9,18,27倍の位置にあるとしました。そんな彼の考える地球は円柱状でした。

 月の明かりについては正確だというのに、他は自分の思想に根拠もなく当てはめただけのように見えるのは事実ですが、一方で天文学を神話から自然学へと導いたのは間違いないでしょう。

 実のところ、アナクシマンドロスの天体モデルは(今日の知識では誤りですが)かなり上手く天体の動きを説明できます。惑星の動きを除きさえすれば。天動説から地動説という正しい結論に至るには、惑星の動きを的確に説明できる理論が大きな役割を果たしています。それを考えると、太陽系は地球から見える範囲に他の惑星を抱えているという、有難い環境なのかもしれません。

 他にも稲妻は風の結果、雷は雲に閉じ込められていて、脱出する際に雲の切れ目から光がもれて稲妻に見える、といったように、雷にも自然科学的な説明を与えようとしています。知の蓄積には小さな一歩でも科学の歩みには大きな飛翔だったとしたいと思います。

 自然学者と呼ばれた人々が何を唱えていたかを一々追いかけても、実際の自然を知ることはできない上に時間がかかるばかりですから、科学史に興味がある方はその手の本に当たって頂くことにして次に進みましょう。



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2015年12月18日

古代ギリシアの科学哲学 ピタゴラス1 ピタゴラスと東方的な思想、そしてピタゴラスの定理

 続いて数学史に永遠に名を刻むピタゴラスに登場願いましょう。

 ピタゴラスはサモスで宝石細工士の息子として生まれました。生年ははっきりしていませんが、前570年前後のことと見られます。一説に、遍歴時代にはインドまで足を伸ばしたとも言われます。タレスに教えを受けた後にエジプトに渡り、さらに南イタリアのクロトンに移り住みます。彼が数学史に名前を刻むことになったことに、このエジプト行きが大きな影響を与えたことは疑いえません。彼の時代ではまだエジプトは数学の先進地域ですから、ここで数学を学んだことはピタゴラスの人生に大きな影響を与えたことでしょう。

 彼は秘密主義的な教団を作り上げ、その中で数学を研究したり教育したりしていました。ただ、秘密主義が徹底していたため、彼らが本当に発見したことが何なのかは不明なことが多くあります。

 ピタゴラス教団では東方との関係が強く見られます。例えば、信者は菜食を貫き、動物供犠を拒否しました。魂の不滅、輪廻を信じていたからです。先行するオルペウス教の系譜かもしれませんが、インド的な雰囲気を感じさせます。ある時、子犬が杖で打たれているところを通りかかったピタゴラスは打つのを止めろ、それは私の友人の魂なのだから、と言ったそうです。これはインドで見られる輪廻転生の考えに一致しますね。

 現世は苦しみに満ちた世界で肉体を牢獄と考えたところも同じです。興味深いのは、菜食主義やマメ食の禁止も共通するところです。バラモン時代のインドで食事規定が厳しくなり、マメ食を禁じる文書があります(前10世紀のヤジュル・ヴェーダ)。時代は下りますが、ギリシアでインドの修行僧が焼身自殺したと、1世紀に生きたプルタルコスが1世紀以上前の話として記録しているそうです。

 また、教団は右を尊び、左を卑しみました。これも右を聖として左を不浄としているインドとの一致を感じさせます。ただ、ヨーロッパの言語が左に「不浄」や「不吉」といった悪い意味を、右に「正しい」や「器用」といった良い意味を与えていることを見ると、印欧語族に共通の感覚なのかもしれません。インド思想との関連を考えるのも楽しいですね。

 数学でいえば、言ってもピタゴラスの定理が有名です。例の、直角三角形の斜辺の2乗は何と他の2辺の2乗の和に等しいというものです。

 少なくとも辺の長さが3:4:5の三角形が直角三角形になることは、メソポタミアでもエジプトでも中国でも理解され、使用されていました。ピタゴラスはこうした特殊な場合だけではなく、あらゆる直角三角形について当てはまることを示したとも解釈可能ですが、はっきりした証明は残していません。現存する最も古い証明は、彼より300年ほど後のエウクレイデス(ユークリッド)が残したものです。

 この定理は証明が幾つもあるのですが、見た目だけで理解できる下図の方法が気に入っています。

三平方の定理.jpg

 もちろん、幾何的な証明だけではなく、算術的にも可能です。中央の図形に注目しますと、1辺の長さがa+bの正方形ですから、面積は(a+b)2=a2+2ab+b2となります。同じ図形を、今度は4つの三角形と1つの正方形の和として見ますと、三角形の4つの面積の和はa*b/2*4=4ab、正方形はc2ですから、c2+2abとなります。両者は等しくなりますので、

 a2+2ab+b2=c2+2ab

となります。両辺から2abを引くと、

 a2+b2=c2

となって証明できましたね。



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2015年12月19日

古代ギリシアの科学哲学 ピタゴラス2 数学者というよりも数秘術者なピタゴラス教団

 辺の長さの比が3:4:5や5:12:13のように整数値となる組み合わせを、ピタゴラス数と呼び習わしています。この組み合わせは無限に存在することが証明されています。kとlを互いに素(共通する約数を持たない)の奇数で、k>l、lは1以上ととした場合の下記のx,y,zの組み合わせはピタゴラス数となります。

 x=kl

 y=(k2-l2)/2

 z=(k2+l2)/2

 ピタゴラスは尋常では無いほどに数を重んじました。数秘術の創始者もまた彼と言われます。例えば約数の和がそれ自身の数になる完全数(6の約数である1,2,3を足すと元の6になる)。あるいは、約数の和同士が相手の数となる組み合わせである友愛数というのもあります。220と284の組み合わせで見てみましょう。

 220の約数の和:1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284

 284の約数の和:1+2+4+71+142=220

 よくもまあこうしたペアを見つけたものだと思いますが、恐ろしいことに友愛数を求める式というのもあります。下の式で与えられるp、q、rが全て素数の場合、2^n*p*qと2^n*rの組み合わせは友愛数というのです。

 p=3*2n-1

 q=3+2(n-1)-1

 r=9*2(2n-1)-1

 ただし、この式は9世紀に記録があるそうですので、ピタゴラス教団が知っていた友愛数は220と284だけだったことでしょう。

 こうした数秘術的な考え方は現代は重んじられていませんので、数学史的な薀蓄でしかなくなりました。数秘術的な考え方は、ピタゴラス以前からあったことが分かっています。彼は遍歴時代に外国から学んできたのかもしれません。

 尚、ピタゴラスは数学の他にも音楽や天文学にも探求の手を伸ばしています。音楽については、ピタゴラス音階と呼ばれる音階を見出しています。調和を調べるために、彼は弦1本からなる琴を作り、弦の比がどのようなときに調和するか調べたそうです。

 今日的な知見からすれば、音の調和は振動数が一定の比率になっているかどうかの問題ですから、すぐれて数学的なものと言えます。それを体現していたことは驚きです。

 音楽に見られる関係を展開にも持ち込んだのが、彼の天文学となります。彼の宇宙論は、中心火と呼ばれるものが宇宙の中心にあり、内側から順に対地星、地球、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星、そして恒星天が周るというものです。それぞれの天体は、全音または半音のハーモニーを作る比率で配置されていました。

 天文学の理論は基本的に数学であることを考えますと、ピタゴラスの関心はここでも数学に結びついていたのだと感慨深いものがあります。

 なお、ピタゴラス音階は現在では使われていません。それでも、音の原理が分かる前に音楽と数学を結びつけたことはピタゴラス派の偉大な功績だと言えるでしょう。

 既に見た友愛数や完全数に加えて10を異様に尊んだというように、数秘術者としての性格がかなり強く、近代的な科学者集団よりは怪しいカルト宗教のように見えるのは事実です。無理数が存在することを示した弟子のヒッピアスを溺死させてしまったという伝説(ヒッピアスが殺されたのは球に内接する正12角形についての秘密を暴露したためであるとする伝説もあります)もあるほどです。ただし、この伝説をはっきりと裏付ける同時代の史料は存在しません。√2が無理数であるという証明に使われる背理法はまだ開発されていませんから、伝説と受け取るのが正しいでしょう。

 仮に人口に膾炙した弟子殺しの伝説が真実なら、大変な皮肉があることになります。と言いますのも、ヒッピアスが殺されるきっかけになった発見は直角二等辺三角形の斜辺がその他の辺の√2倍になることですが、これは他ならぬピタゴラスの定理から導き出されることですから。

 もっと皮肉なことに、ピタゴラスの定理はピタゴラスが発見したわけではないだろう、とみなされているようです。中国でも、勾股弦の定理として知られていたと言いますから、功績をピタゴラスに独占させるわけには行かなそうですね。



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