2015年06月25日

古代インド 黎明期1 都市文明

 メソポタミア文明、エジプト文明とくれば、インダス文明を外すことはできないでしょう。しかし、インダス文明についてご存じなことは、ほんの限られたものではありませんか?確かに、中学の社会の時間には、4大文明の1つとして、モヘンジョダロハラッパーといった地名を覚えさせられたでしょう。そこから先は?

 実のところ、インダス文明については分かっていることがほとんどありません。文明の担い手ですら確定していません。メソポタミアから移住してきたドラヴィダ人であるとする説が有力ではありますが、反論もあります。となると、彼ら自身が残した証拠から情報を掴めると良いのですが、それも難しい状況です。文字は使われていて、400字程が知られていますが、残念なことにまだ解読されていないのです。長文が残されていないため文法構造すら不明です文字が解読すらされていないのは4大文明のうち他の3文明と大きく異るところでしょう。

インドという地名にしても、インダス文明の崩壊後にインドへ入ってきたアーリア人が、川を表す「シンドゥ」がこの地方最大の川であるインダス川に付けられ、それがインドという地名になったものです。玄奘三蔵の伝える月を表す「インドゥ」が語源というのは後世言われるようになったものの誤りだそうです。尚、「バラタ族の地」を表すバーラタヴァルシャを略したバーラトがインドの正式国名となっています。

 最大の都市はモヘンジョダロで、ここにのみ焼きレンガからなる大きな沐浴場がありましたので、何らかの儀式に使われたものと見られています。しかし、このモヘンジョダロは、少し掘ると地下水が湧き出てきてしまい、下手に手を出すとむしろ遺跡を破壊してしまうことから、1960年台を最後に発掘調査が出来ない状態が続いています。稲作のための灌漑によって、地下水位が上がっているのが原因です。地下水に含まれるミネラル分による塩害も酷いレベルです。加えて、乾季の風は風化を早めますし、ダム建設によってインダス川が遺跡の方へ流れを変えてきているといいます。崩壊が迫っているのです。

 もし技術の進歩で崩壊を食い止め、発掘調査を進めることができれば、ロゼッタストーンのように同じ内容を複数の言語で記した記録が見つかるかも知れません。そうすれば、研究は大きく進展することでしょう。どちらが早いか、気になります。


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2015年06月26日

古代インド 黎明期2 驚くべき都市の規模

 文字が使われていた以上、どこかに長文が書かれていたはずです。それらが残っていないのは、木の葉のように湿潤な環境下で長期間保存するのが難しい書写材料が使われていたのかもしれません。

 あるいは、インダス文明の中心地はもっと別の場所にあったのかもしれません。数千年前、地球が今よりももっと寒冷だった時期、海面はもっと低いところにありました。温暖化により海面が上昇した結果、海辺の遺跡は海底に沈んでしまっています。インド洋にはインダス文明のものと見られる海底遺跡が見つかっています。

 それにしても、海に沈んだ数千年前の遺跡があるということは、インダス文明の発祥や発展はいつのことだったのでしょうか。もしかすると、インダス文明は通説を覆して、世界最古の文明と言えるのかもしれません。

 メソポタミアで文字が使われていたことがはっきりしている最古の時代と同時期のインダス文明の遺跡から文字史料が見つかっていることを考えますと、文字文明の流れは実は逆で、インダス文明からメソポタミアに伝播した可能性まで考えて良いかもしれません。全ては海底遺跡の調査にかかっておりますから、研究が進み、成果が公表されるのを楽しみに待つことにしたいと思います。それまでは、従来通り文字はメソポタミアで生まれたのが最初であるとしておくのが良いでしょう。

 限界があることを踏まえた上で、それでも分かっていることを書いていきましょう。

 インダス文明は東西1,500km、南北1,100kmにも及ぶ、広い地域に及びました。メソポタミア、エジプト、黄河の各文明よりも広い範囲だったのです。それどころか、海底からも当時のものと思われる遺跡が見つかっています。数千年前は今よりも寒冷だったので海面が下がっていたので、当時の海岸沿いにあった遺跡は今では海の底なのですね。当然、まだまだ分かっていないことばかりなのですが、地域的な広がりには驚くばかりです。

 インドの季節は雨季、夏季、冬季の3つに分けられます。雨季とはつまるところモンスーンの影響です。


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2015年06月27日

古代インド 黎明期3 都市計画に基づいて造られたモヘンジョダロ

 まず文明化したのはインダス川上流に当たるハラッパーで、今から5000年程前のことです。それから400〜500年ほど経ってより下流側にモヘンジョダロが築かれます。これらの都市は碁盤目状に区切られていることから、しっかりした都市計画に基づいて造られた街であることが分かります。

 モヘンジョダロは特にしっかりした都市設計がなされていたそうで、日干しレンガに加え、一般の家庭用にも縦4×横2×高さ1の比率で規格化された焼成レンガが使われていました。レンガが多用されたのは石材が少ないからとのことです。

 加えて、各家庭まで水道配管が通っていたそうです。下水は街の外に運ばれていました。ゴミはダストシュートに捨てられ、下水で回収されていたそうですから、その技術は驚くばかりです。都市人口は3〜4万人規模だったと推測されています。更に面白いのは、住居に階級差が見られないことです。メソポタミアでもエジプトでも、貴族たちは通常の人よりも遥かに大きな家に暮らしていましたが、インダスではそうした傾向が無いのです。同じことは埋葬にも見て取れます。

 また、この地からは世界最古のチェス盤が発見されています。インダス文明は滅びその担い手すら分からないのに、彼らが作ったゲームは西進してチェスになり東進して将棋に姿を変え、世界中で遊ばれているのは面白いですね。サイコロも見つかっておりますので、きっとこの時代の人々も賭博を行っていたことでしょう。

 加えて、戦争の跡が見られないことは押さえておかなければならないでしょう。戦争への備え、例えば積み上げられた武器は見つかっていません。但し、城壁は見られたようなので、それなりに外患への備えはあったのでしょう。

 現代の価値観を持った人が古代社会に暮らすのであれば、最も居心地が良いのはインダス文明かもしれませんね。

 エジプトがナイル川に運ばれてきた肥沃な土地で農業を行ったのと全く同じように、毎年氾濫を繰り返すインダス川も農業には適した環境を与えました。テラス農耕と呼ばれるこうした方法によって、豊かな実りを享受できたようです。また、乾季に備えて巨大な貯水槽が造られていました。乾季と雨季からなる地域らしい配慮です。鋤も見つかっておりますので、テラス農耕の強い味方だったに違いありません。大麦、小麦、豆類が栽培されてしました。

 同じような環境のメソポタミアとは、麦の栽培やヒツジ・ヤギの放牧と、似たところが多いようです。他にスイギュウは家畜化されていて農耕にも使役されたようですし、ブタやイヌもいましたが、ウマは家畜化されていた形跡がありません


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2015年06月28日

古代インド 黎明期4 特産品

 紅玉髄木綿がこの地の名産だったようです。交易は広く行われており、紅玉髄のビーズなどは遥かメソポタミアやペルシア湾の遺跡からも発見されています。貿易相手の記録からは、銅、木材、黒壇、貴石、サル、クジャク、象牙、綿織物等が挙げられ、通商にあたっては川や海を上手につかっていたようです。

 青銅に必要なスズはアフガニスタンからの輸入に頼らなければなりませんでしたが、十分な量を確保できなかったため、通常よりスズ含有量が少なく脆いそうです。一方、銅器は発達していました。

 ただ、インダス文明の遺跡からは、メソポタミアからのものと見られるものは出土していないそうです。直接貿易をしていたわけではないのか、あるいは輸入品が農産物だったかのいずれかでしょう。

 交易相手の残した記録からは、インダス文明はどうやら「メルッサ」と呼ばれていたようです。インダスの都市は、必ずしも川沿いにあったわけでは無く、広い範囲に及んでいたことを考えますと、「メルッサ文明」としても良いのかもしれませんね。

 貿易や流通には海や川を使っていたようです。航海術は未発達ですから、海上を進む際には海岸線を見ながら進んでいきました。それでも風や潮の流れで陸地から遠ざかってしまった場合には、連れてきた鳥を放ち、鳥の飛ぶ方向へ船を進めたと推測されています。鳥を使って陸地の方向を知る方法は、仏教説話『ジャータカ物語』にあるそうですので、インダス文明で用いられていたとしても不思議は無さそうですね。

 2進法と10進法に基づいた分銅が見つかっておりますので、度量衡が統一されていたことは確実です。都市間の貿易は円滑に進んだことでしょう。

 取引にあたっては、滑石の一種である凍石を用いた印章が用いられました。メソポタミアでは円筒印章でしたが、インダス文明では現代の日本の印章と同じような形です。


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2015年06月29日

古代インド 謎の滅亡1 スタンダードな説明

 他の多くのことと同じように、滅亡についてもはっきりしたことは分かっていません。最も可能性が高そうなのは環境変化によってインダス川の流れが変わったことのようです。川の流路を見ると、インダス文明が栄えた頃はハラッパーやモヘンジョダロのすぐ横を通っていた川が、滅亡する頃には地形の変動によって別の所を流れるようになっていたことが分かっています。

 乾燥した地域にあっては、水の確保は欠かせません。だからこそ、メソポタミアもエジプトも、まだ取り上げておりませんが中国も、川の側に都市ができるといった形で文明化を迎えたのです。川の存在は文明化に必須というわけではありません(例外についてはいずれ取り上げます)が、乾燥地帯にあっては必要不可欠です。加えて、水路を流通のベースに置いていたインダス文明では、川が失われたことで街を維持することはできなくなってしまったのは致命的だったのでしょう。

 矛盾するようですが、大規模な洪水の跡も見受けられます。川の流路が変わる際に大氾濫を起こしたものでしょうか。洪水に塩害が続きます。これは生産力を大きく下げたことでしょう。

 洪水と流路の変化が滅亡の理由だと考えられています。

 ただ、彼ら自身がはっきりした証拠を残さなかったものですから、滅亡について荒唐無稽な説が生まれました。なんと、古代の核戦争が原因だ、というのです。

 論拠の1つは、モヘンジョダロで見つかった遺骸から、死が唐突に訪れたことや、高熱に晒されたことが見て取れることです。これに便乗した人物が、デヴィッド・W・ダヴェンポートなるイギリス人です。彼はモヘンジョダロの近くで、800メートル四方に及ぶ、ガラス化した場所を確認したと主張します。砂をガラス質に変えるほどの力は、確かに核兵器を思い起こさせます。

 また、インドの神話には圧倒的な破壊力を持つ超兵器を彷彿とさせる記述があります。名作アニメ『天空の城ラピュタ』において、悪役のムスカ大佐(あのシーンにおいてはラピュタ王ロムスカと言うべきでしょうか)は、ラピュタの兵器をデモンストレーションで披露し、「旧約聖書にあるソドムとゴモラを滅ぼした天の火だよ。『ラーマヤーナ』ではインドラの矢とも伝えているがね」と言うシーンがあります。


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