2015年05月13日

古代エジプト 年表

時代区分西暦王朝出来事
前史紀元前7000年頃乾燥化に伴い、農耕が開始される
原始王朝時代紀元前4200年頃
紀元前3500年頃
紀元前3150年
この頃には1年がおよそ365日と1/4日であることを知っていた
上エジプト、下エジプトでそれぞれ統一王朝成立
初期王朝時代紀元前3100年
紀元前2584年
第1王朝
第2王朝
ナルメル王により、上下エジプトが統一される
古王国紀元前2584年
紀元前2117年
第3王朝〜第6王朝ピラミッド建造が始まり、ピークを迎える
クフ王、ギザのピラミッド建設
第1中間期紀元前2117年
紀元前2066年
第7〜第10王朝混乱期
環境変動による農業の衰退と異民族の流入
中王国紀元前2066年
紀元前1781年
第11王朝〜第12王朝テーベ出身の王朝が力を握る
アメン信仰が全エジプトへ広がる
第2中間期紀元前1781年
紀元前1549年
第13〜第17王朝異民族のヒクソスがエジプトを支配
ウマがエジプトに入ってくる
新王国紀元前1549年
紀元前1069年
第18王朝〜第20王朝エジプトの全盛期
アクエンアテンの宗教改革や、ラムセス2世の遠征で知られる
ツタンカーメンもこの時代
第3中間期紀元前1069年
紀元前664年
第21王朝〜第26王朝リビア人の王朝や、ヌビアからの勢力がエジプトを支配
末期王朝紀元前664年
紀元前332年
第27王朝〜第31王朝アケメネス朝ペルシアの介入とそれに続く混乱の時代
プトレマイオス朝紀元前332年
紀元前305年
紀元前30年
プトレマイオス朝アレクサンドロス大王、エジプトを征服
アレクサンドロスの部将のプトレマイオス、エジプト王として即位
クレオパトラ自殺、エジプトはローマの属州となる

※年代は『ファラオの生活文化図鑑』から引用

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2015年05月14日

古代エジプト 国土と文化1

 「エジプトはナイルの賜物」と記したのはヘロドトスです。ナイル川が運んできた肥沃な土壌のお陰で、エジプト人は少ない労力で農耕を行うことができました。それだけではなく、古代エジプトの領土もまた、ナイル川によって決まっていました。

 古代においても、現在のエジプトに当たる地域は砂漠でした。ナイル川の川沿いこそ水がありますので農耕も可能ですが、少し東西に外れると住めるような地域ではなくなってしまいます。こうして東西の範囲が規定されます。北方ではナイル川は地中海に注ぎますので、国境ラインもここになります。では、南は?

 これが、図ったかのように、ナイル川に天然の障壁があるのです。

 ナイル川は、花崗岩からなる地帯を通り抜けています。花崗岩の特徴として、固さが挙げられます。固い岩を、水も破壊しきれなかったのか、急湍(カタラクト)と呼ばれる地形を形成します。ここでは水の流れがかき乱されることで、流れが速く複雑になりますので、船での移動は危険です。地中海よりナイル川を遡り、最初に現れる急湍は、アスワンにあります。第一急湍と呼ばれるこの場所は、川の中央にエレファンティネ島という島があり、川の流れを左右に分けていますので、流れが複雑になるのです。

 一方で、第一急湍より下流側は流れが非常に穏やかで、川を船で下るのは簡単な事でした。最初はパピルスを束ねた手漕ぎ船だったのが、やがて帆が使われるようになり、多くの船が川を上下するようになりました。ピラミッドの材料となる石材もこうして運ばれたものです。

 ここが古代エジプト領土の南端となることが多くありました。天然の要害のようなものですから当然でしょう。第一急湍より南側はヌビアです。ヘロドトスも、エジプトとはこのエレファンティネ島より下流側を指すものと認識していたようです。



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2015年05月15日

古代エジプト 国土と文化2

 ナイル川は南北に長く伸びていますから、上流側と下流側では人の外見も大きく変わります。北方に行くほど地中海地方の特長を、南に行くほどネグロイドの特長が色濃く現れてきます。こうした違いはありますが、エジプト語を話すのであれば同じ仲間と見なされたようで、逆にエジプト語を喋らない人は一段低く見られていたそうです。

 因みに、上エジプト、下エジプトといって区分する場合もありますが、この場合の上下は川の上流下流のことで、上エジプトとはメンフィスから南のアスワンまで、下エジプトはメンフィスから北のデルタ地帯までを指します。北を上に向けた地図を元に考えると間違ってしまいますのでご注意下さい。日本でも新潟の地名で上越は南、下越は北ですよね。日本の場合は京都からの距離で決まったのと同じようなものだと考えれば分かりやすいでしょう。

 この地において文明が花開き、多くの王朝が興っては亡んでいきます。紀元前3000年頃から、アレクサンドロス大王によって滅ぼされるまでを古代エジプトと呼び、31の王朝があります。といっても、この数え方は、アレクサンドロス大王の死後にエジプトを支配したプトレマイオス朝の神官であるマネトーが定めたもの(実際は、マネトーが定めたのは30の王朝で、31番めは後世に付け加えられたものです)で、どういうわけか彼は血統に従った区分をしたわけではありませんし、共同統治を無視していますので、分かりづらかったり実態に即していないところがあります。おまけに、王朝の全てがエジプト全土を支配していたわけではなく、複数の王朝が同時に存在する場合もあります。分裂の時代については中国における三国時代や日本における南北朝時代のようなものだと思えば良いでしょう。

 国が強くなれば国境は第二急湍、第三急湍と南へ南へと伸びていきますし、逆に国が力を失うと北へ押し戻されていきます。面白いことに、環境変化を追いかけますと、湿潤な時代には強力な王朝がエジプトを統一し、乾燥化した時代には中間期と呼ばれる混乱の時代が続くことが見て取れるそうです。

 このエジプトにおいて農業が始まったのは、紀元前7000年頃に乾燥化が進み、水はけが良くなったことがきっかけと言われます。メソポタミア文明で見たのと同じように、麦やナツメヤシ、マメ類が育てられました。



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2015年05月16日

古代エジプト 国土と文化3

 驚くべきことに、紀元前4200年程前のエジプトでは既に一年がおよそ365日であることが分かっていました。エジプトは太陽暦を使用した最初の文明です。30日の月が12あり、最終月に残りの5日が足されました。この余分の5日間は、オシリス、イシス、ホルス、ネフティス、セトといった神々の誕生した日とされました。太陽を除けば最も明るく見える恒星、シリウスは、一年に一度だけ、夜明けの空に太陽と並んで上る日が元旦とされました。それは、3月1日です。そして、このシリウスの観察から、彼らは一年が365日ちょうどではなく、およそ1/4日が付け加えられるべきであることに気付いたというのですから、観察力の高さに驚きます。

 しかし、彼らの偉大さにはケチが付きます。エジプトの神官は、4年に1度の閏日を加える事を拒否したのです。伝統に固執するなど、自分の見たいように世界を眺めて現実を正しく見ることができないという人の嘆かわしい特質を、エジプト人もまた持っていたのですね。こうして、折角のエジプトの暦は1460年周期でしか太陽年と一致しないことになってしまいました。閏日がようやく加えられるのは、プトレマイオス朝になったからのことですが、それすら神官は拒否したそうで、ローマの属州となってようやく是正されました。

 古代エジプトにおいては、今の一週間に当たる周期は10日間でした。職人は9日間働き、1日休んだそうです。メソポタミアの係数法の影響でしょう。これは1カ月を30日と考えたエジプト人には都合が良かったかもしれませんね。また、1日は24時間とされました。ただし、日中を12時間、夜を12時間としていましたので、季節によって時間が変わりました。もっとも、当時は時計などありませんでしたから、最も目立つ目標である太陽を使うのは合理的なのでしょう。



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2015年05月18日

古代エジプト 国土と文化4

 余談になりますが、元旦が3月だったことは今の暦にも足跡を残しています。1カ月30日とすると、1年は365日ですから5日余ります。これを3月から順に31日-30日-31日-……と繰り返していき、途中のユリウス・カエサル(Iulius Casar)から名をとった7月とアウグストゥス(Augustus)から名を取った8月に敬意を払って31日とし、足りなくなった分を年末の2月から取ってしまったので、2月だけは中途半端な28日しかないのですね。

 更に余談を重ねますと、10月を表す英語Octoberは、頭にOctがある通り、8番目の月という意味です。これも、当時のローマが使っていた暦が3月から始まりましたので、3月から数えて8番目の月という意味を持っています。地中海世界で先行した文明としてエジプトの暦のことは知られていたでしょうから、もしかしたらローマが3月を年始に据えたのはエジプトの影響かもしれませんね。ローマ暦が初めて採用されたのは紀元前753年とされていますから、エジプトの暦よりはるかに後発な上、地中海世界としてエジプトと人の行き来はそれ以前からありますから。

 エジプト人は1年を増水期、播種期、収穫期の3つの季節に分けて考えていました。6月から増水したナイル川は9月には洪水となります。ご存じの通り、この洪水で肥沃な土が運ばれてきます。次の洪水までに種蒔きから刈り入れなければなりませんから、必然的に一年草が活躍します。エジプトで活躍したのはエンマー小麦。日本で暮らしているとめったに聞かない名前ですが、今でもシナイ半島を中心に作られているそうです。近縁のデュラム小麦はパスタに使われますので、よく目にしますね。

 エンマー小麦はパンになり、またメソポタミア同様にビールにもなりました。エジプトのビールはいまのものよりもアルコール度数が高かったそうです。また、ホップはありませんでしたが、ナツメヤシで味を付けるようなことは行われておりました。ビールづくりは各家庭の女性の仕事だったそうです。エジプトでは女性も活躍しており、離婚も合意があれば自由に出来たそうです。離婚か死別かによって、生涯で何人かの配偶者を迎えるのはありふれたことだったと言われます。後にギリシアの影響が強まると、女性の地位は低下していきます。ギリシア哲学といった進歩的なイメージとは異なり、この点だけで言えばギリシアは後進的でエジプトが先進的に見えてしまいますね。



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