2015年04月21日

古代オリエント 年表

 文明の揺籃の地、メソポタミアについて扱います。まずは年表を載せますが、表の最後、アレクサンドロスの帝国については後回しとします。大まかな年代を押さえたくなったらここを御覧ください。

西暦王朝民族出来事
前4000年頃シュメール既に農耕は始まっている
都市ウルクが栄える
前3000年頃、文字誕生
ヒツジ、ヤギの家畜化
前2350年頃アッカド帝国アッカド人サルガン、メソポタミアを統一
但し、統一は長続きせず、サルガンの死後崩壊
前2100年頃ウル第3王朝シュメール人ウル・ナンムにより建国される
現存する最古の法律ウル・ナンム法典成立
前1900年頃古バビロニアセム系アムル人バビロンを首都にした王国の成立
ハンムラビ王によりハンムラビ法典が制定される
前1600年頃ヒッタイト印欧語族
(詳細不明)
史上初の鉄器文明
前1285年、エジプトとの間でカデシュの戦いが起こる
戦後、史上初の講和条約締結される
前1190年頃、海の民の流入により滅亡
前1190年頃アッシリアアッシリア人
(アッカド人)
前722年、イスラエル王国を滅ぼす
前671年、エジプトを占領
アッシュルバニパル大図書館を建設
図書館にはギルガメシュ叙事詩も収められる
前609年、新バビロニアに制圧され、滅亡
前609年新バビロニアアラム人ナボポラッサル、アッシリアに対して反乱を起こし、独立
アッシリアを滅ぼす
エジプト第26王朝ユダ王国を支配したため、エジプトへ出兵
ナボポラッサルが急死したため、皇太子ネブカドネザル2世が帰国し、即位
エジプトを破り、ユダ王国を併呑
バビロン捕囚でユダヤ人を本国へ強制移住させる
空中庭園ウルのジッグラト改修、イシュタル門の建設が進む
前539年アケメネス朝ペルシアペルシア人
(印欧語族)
メディア王国出身のキュロス2世、メソポタミア全域を征服
2代目のカンビュセス2世はエジプトを征服、エジプト第27王朝
3代目のダレイオス1世(大王)、カンビュセス死後の混乱を収め、即位
スキタイに破れ、西方でマケドニアを屈服させる
マラトンの戦いを皮切りに一連のペルシア戦争が起こる
前480年、サラミスの海戦で大敗、西方から駆逐される
前331年、ダレイオス3世アレクサンドロス3世に大敗、首都占領される
前330年、ダレイオス3世は側近に暗殺され、滅亡
前330年マケドニア
(アレクサンドロスの帝国)
マケドニア人アレクサンドロス3世、ペルシアを支配
前323年、アレクサンドロス死去
帝国はアレクサンドロスの部将に分割される(後継者戦争



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古代オリエント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月22日

古代オリエント 文明の誕生1

 文字文明は農耕が生んだ、と言ってよいでしょう。「文化」を表す英単語「culture」の語源は、「耕す」を表すラテン語「colere」です。もっとも、英語で文化を表すのは、「心を耕す」という意味があるようですが、実に上手く意味を当てたものだと思います。

 メソポタミアでは小麦、中国では米、そしてマヤではトウモロコシが栽培されていました。その他の文字は、基本的にこれらに起源を持ちます。イースター島ロンゴ・ロンゴと呼ばれる独特の文字は例外かもしれませんが、西洋文明に触れた島民が文字を作り上げた可能性も示されています。文字を生みだし、維持するには相当大きな社会でなければ出来ないことでしょうから、私はこちらの見方を支持しています。

 農耕は、実は労働時間あたりの収穫という点では、狩猟に大きく劣ります。農耕を始める前の古代人が1日あたりどれくらい働いていたかと言いますと、3〜4時間くらいなのです。農耕が始まって、労働時間は増大し、脳容積は減少し、筋力は落ち、健康状態は悪くなりました。しかし、そうであったとしても、余剰の生産物は魅力だったのです。十分な食料を得ることが出来なかった時代、特に冬期に食料があることは死活的に重要な問題だったのです。

 こうした特色のうち、脳容積の減少や筋力の減衰にはどこか他のところでも見るような気がしませんか?野生生物と、家畜化された動物の間の差が、実は農耕開始前後の人と共通するのです。人は農耕生活によって自らを家畜化したと言えます。

 脳容積は減っても、文字を得ることによって人間は記憶を外部に移すことができるようになりました。それによって、知を継承し、押し広げるスピードが猛烈に上がったのです。

 なぜ農耕が文字文明を生んだのでしょうか?それは、余剰生産物があるから、です。余剰生産物は都市化を可能とします。多くの人口を抱えた都市は生産活動に従事する人ばかりではなく、管理のみを行う職業も生み出します。また、余剰品が通貨代わりとなり、原始的な商業活動が始まります。これらを円滑に行うために文字が生まれてきたのでしょう。実際、最初期の粘土板は取引の記録ばかりですので、少なくともメソポタミアにおいては取引の記録を残すために文字が生まれたという説が有力です。

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posted by 仲井 智史 at 21:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 古代オリエント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月23日

古代オリエント 文明の誕生2

 私が扱おうとしている知の歴史は、こうして幕を開けるのです。我ながら随分と遠回りをしてきましたが、ようやく文明社会まで戻ってきました。再びメソポタミアの地に戻りましょう。文字を持った文明が最初に花開いたメソポタミアへ。

 メソポタミアとは、ギリシア語で「川に挟まれた土地」を指します。東側のチグリス川と西側のユーフラテス川ですね。二つの川は河口近くで合流し、ペルシア湾に至ります。今日の地理ではイラクに当たる地域です。但し、メソポタミア文明が栄えた頃、ペルシア湾は今より200キロも内陸に入り込んでおり、2つの川は別々に海に注いでいたそうです。

 メソポタミアは人類最初の文明と言われます農耕が始まったのがこのメソポタミアの地であること、平原で多くの民族が往来できることから交易がなされるようになったことが原因に挙げられるでしょう。

 都市文明の成り立ちにしても、サウジアラビア方面からやってきて川の上流側から下流に進んでいったセム系のアッカド人と、南に居たらしいシュメール人が出会い、互いに影響を与えながら都市化を進めていったようです。ただ、都市の名前はアッカド語ともシュメール語とも異なり、さらに先行する他文明があった可能性も指摘されています。この北部をアッカド、南部をバビロニアと呼び習わしています。

 なぜこの時期に農耕が始まったのでしょうか?1万5000年ほど前、地球は温暖化します。すると、森林が面積を広げます。必然的に、平原に生きる動物が激減しますから、人類の先祖は飢えながら森林に入ります。そこにあったのがアーモンドやピスタチオでした。

  実は野生のアーモンドは、大変に苦いのです。苦みを感じる能力は、毒物への警戒として発達してきました。その例に漏れず、アーモンドの苦さも毒につながっています。アーモンドは食べられないようにシアン化物で防御していたのです。毒のあるアーモンドを食べられるように変えていくのはさぞ時間のかかったことでしょう。しかし、たまたま苦味の少ない、つまりは毒物の少ない野生型のアーモンドがあったのでしょう。それを人が育て始め、どんどん苦味の少ない方へと品種改良してきたのです。

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2015年04月24日

古代オリエント 文明の誕生3

 さて、温暖化は長く続きません。ヤンガードリアス期と言われる、寒冷化の時代がやってきます。この寒冷化は地球規模の変化によって起こります。アメリカとカナダの国境付近の五大湖周辺にあった大量の氷河が温暖化によって溶け、堤の役割を果たしていた氷がその水圧に負けて崩壊した時に、大量の真水が大西洋に流れ込みます。真水は海水(塩水)より軽いので、海面にそって広がります。それにより海水の熱循環がストップし、北半球が寒冷化したのです。南半球にはこの時期の寒冷化は見られません。

 ヤンガードリアスの寒冷化にともなって再び平原に出た人類が麦に出会い、農耕を始めたという説もあります(『環境と文明の世界史』)。もっとも、一粒小麦の栽培は1万5千年前に始まったようですのですから、せいぜい、農耕の規模拡大くらいかも知れません。しかし、アメリカ大陸で起こった出来事が西アジアに変化をもたらし、それが人類文明に大きな影響を与えたとなると、壮大なものを感じます。

 農耕をより効率良く行うために開発された技術が、灌漑です。水を導けば、農地を広げることができる。こうして得られた肥沃な土地で育てられたのは、小麦、大麦、ナツメヤシ、ヤギ、ヒツジが中心でした。ナツメヤシは耐塩性に優れているので塩害の中でも育てることができ、栄養価も高いので重宝されたようです。

 特に、この地で犂(すき)が発明されたのは特筆すべきことでしょう。これによって、大型動物の牽引力を開墾に利用することができるようになったのです。

 小麦や大麦も、この地で栽培が始まりました。1万5000年ほど前のことです。文字文明が成立する頃にはエジプトやヨーロッパにも伝えられていました。先に取り上げたアイスマンの遺物にも小麦があったのを思い出しますね。


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2015年04月25日

古代オリエント 文明の誕生4

 ただし、農耕の発見は、中東でただ一度だけなされ、他の地域へは技術が伝播したわけではありません。たとえば、ニューギニア人はタロイモを、新大陸ではトウモロコシや豆やカボチャが、独立に栽培されるようになっていました。中国で発達した稲作も、メソポタミアの影響ではないかもしれません。

 小麦は主に小麦粉として消費されるのは当時も同じ(石臼は少なくとも1万年前には使われていました)で、パンは昔から食べられていました。当時のレシピにはミートパイに似たものもあったそうで、それを一般人が食べていたかは別として色々な料理があったのは間違いないそうです。

 忘れてはいけないのは、小麦が大量に得られるようになったことでパンに加えてビールが作られるようになったことです。人類の悪徳はここに始まったかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これは画期的なことでした。人類は生水から開放されたのです。生水は、知っての通り中に細菌やら何やらがうようよ棲息しています。生水を飲まざるを得なかった頃、それが原因で病気にかかる人も少なくなかったのです。ビールはアルコール発酵の過程で他の微生物を排除します。ですから、当時にあっては安心して飲める唯一の飲み物だったと言っても良いでしょう。

 麦そのものは糖分を含みません。そのため、このままなら発酵させることはできません。麦を発芽させて麦芽にしますと、澱粉が分解されて糖分になります。貯蔵している内に発芽したものが濡れてしまい、できたものが美味しかったのが発祥でしょう。今なら汚いと捨ててしまいそうな話ですが、当時は無駄に出来なかったのが、こうして今の生活に華を添えてくれているのかもしれませんね。

 因みに、この頃のビールは、穀物由来の甘みが強く、ホップも加えられていないので爽やかな苦味もなく、当然のことながら冷やされてもおりませんから、今のものとは全く違う飲み物です。しかも、穀物のカスが除かれていないため、ストローを使って飲んでいました。それでも様々な人の味の好みに合わせるべく、麦の種類を変えたりフレーバーを加えたりで、20種類以上のビールがあったそうです。


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