2020年09月17日

三国志 東方情勢 董卓は長安で郿に要塞を作って財宝を蓄える 東方では洛陽守備を委ねられた朱儁が荊州へ逃亡 孫堅が董卓軍の徐栄に大敗

 董卓は長安で専権を振るうのと並行して、郿に長安城と同じ高さの城壁を持つ城を築きます。そして30年分の穀物を蓄えて、何かあってもここを守って一生暮らせば良いと嘯く始末でした。

 郿を訪れるために公卿以下を揃えて送別の宴を催したことがあります。この時に董卓が見世物として準備したものは、酸鼻極まるものでした。乃ち、北地郡で反乱を起こして降伏した者数百人を幔幕の中に入れると、「まずその舌を切ってから、手足を切ったり、眼をくりぬいたり、大鍋で煮たりした。まだ死にきれない者が、杯やテーブルの間を倒れて転げまわり、集まった人びとがみな慄然としてさじや箸を取り落しても、董卓は平然として飲み食いを続けていた」そうです。

 長安へ去った董卓が洛陽の守備を委ねたのは朱儁です。朱儁は長安遷都のくだりで見た通り、董卓とは全くウマが合いません。そうしたこともあり、朱儁は関東の諸将に内応しようと考えしたが、董卓に襲われることを恐れ、荊州に逃亡しました。董卓は朱儁に代えて弘農の楊懿を河南尹に任じて洛陽を守らせました。

 この頃、袁術配下の孫堅と董卓軍との間で戦いが行われています。

 孫堅が梁に軍営を置いたところに、徐栄と李蒙の率いる董卓の大軍が押し寄せます。孫堅は数十騎を引き連れて敵の囲いを破りますが、彼は常に赤いフェルトの頭巾をかぶっていたため、格好の目印となってしまいます。そこで、側近の祖茂に頭巾をかぶせ、敵が祖茂を追っている間に逃げおおせました。

 祖茂は追い詰められると、ウマを降りて焼けた柱にフェルト帽をかぶせて草むらの中に身を隠しました。董卓軍の騎兵は柱を取り囲んでしばらくしてからそれが人間ではないことに気づき、立ち去りました。

 なお、三国志演義では、祖茂は孫堅を追う華雄が頭巾を取りあげた時に隠れていた木陰から飛び出して襲いかかりますが、返り討ちにあって殺害されています。華雄云々は置いておくとして、その後の祖茂については記述がありませんので、あるいは祖茂はここで討ち死にしたのかもしれません。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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