2020年07月02日

後漢 少帝辯の死 劉辯は自殺を強いられ、妻の唐姫や宮人に別れを告げて毒を飲む 董卓は都を洛陽から長安に移し、太師を自称する

 劉辯は妻の唐姫と宮人を集め、最後の酒宴を開きました。酒が巡ると、劉辯は「天の道は易きも、私の道はなんと苦難に満ちていいることか。天子を廃され王となり、藩を守るも悪逆な臣下に迫られて生き延びることすら許されぬ。お前のもとをさり、冥界へ行こう」と嘆き、妻を立たせて舞わせました。

 唐姫は「皇天は崩れ、后土は頽(くず)れ、身は天子となられても命はくじかれました。死と生は異なるものなるも寄り従うとは言いますが、私は孤独で心中の悲しみをどうしたらよいでしょう」と歌うと、嗚咽を漏らしました。

 劉辯は唐姫に、「そなたは王者の后であるから、役人や民と再婚はしないであろう。自愛するように。これで、永久の別れだ」と言うと、毒を飲んで死にました。享年、18という若さでした。

 なお、唐姫は夫の死後に実家へ帰ります。父は唐姫を再婚させようとしましたのですが、彼女は肯んじずにいました。後に李傕に略取されましたが、妻にしたいという李傕の申し出を断固拒否します。尚書の賈詡が彼女のことを知り、献帝に伝えたことから、献帝は彼女を園陵に配属させて弘農王妃とすることになります。

 一方、諸侯連合はそれぞれが数万の兵を率いていたとはいえ、全軍が合同して統一された指揮のもとにあったわけではありません。集合したのは軍勢の一部で、しかも誰も先頭に立って董卓と戦おうとはせず、会議と酒宴に明け暮れるばかりでした。

 2月、董卓は長安を首都にすると決め、洛陽の人々を長安に移しました。長安に至った董卓は太師となり、尚父と号します。軍事力を背景に力を振るう董卓に、誰も反対などできませんでした。

 反董卓連合では、袁紹らが動こうとしないことに業を煮やした曹操や張邈、鮑信らが西に向かって董卓を追います。連合軍は滎陽において董卓が関東に残した徐栄に遭遇し、大敗してしまいます。曹操自身も矢傷を負うという敗北で、彼らは連合軍から離脱することになります。ただ、徐栄は曹操らの戦いぶりをみて酸棗攻撃は諦めています。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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