2020年05月02日

後漢 宦官の専横 班超の後任の任尚、班超の忠告を聞かずに西域の離反を招く 和帝を助けて竇憲を失脚させた鄭衆は侯に封じられ養子をとる

 後任の戊己校尉任尚(じんしょう)は、班超に西域を運営する秘訣を尋ねます。班超は、「私はもう老いて、知恵を失いました。任君は重要な官職を歴任してきたのですから、私の言うべきことは無いと思いますが、どうしてもとおっしゃるなら愚言を進めましょう。塞外の兵士、役人は罪を犯してこの地に送られてきた者たちで、もともと孝行で親に従うような者たちではありません。しかも、夷狄の民は鳥獣のような心を抱き、養うことは困難で、失敗を繰り返します。君は性格が厳しく性急です。水清ければ大魚はなく(水清ければ魚棲まずの語源)、察政は下の者の和を得ません。小さな過ちは許しておおらかにしながら、根本の原理原則を護るようにすればよいのです」と語りました。

 任尚は「班超には奇策があると思って聞いてはみたが、平凡なことしか言わないのだな」と親しい者に感想を述べています。しかし、任尚が赴任して数年で西域諸国は叛き、任尚は罪とされて中央に召されました。班超が忠告したことが守られなかった故でした。西方の国々が離反していくことを受け、任尚はこの後も西域で多くの作戦に従うことになります。

 西域事情にやたらと首を突っ込んでしまいましたね。ここで中央についても見おきましょう。

 和帝は10歳で即位したのでしたね。養母である竇太后の一族が実権を握り、特に竇憲の暴虐は酷いものでした。竇一族排除に和帝が頼ったのは宦官の鄭衆でした。竇憲らが排除された後に権力を握ったのは、鄭衆たちです。

 鄭衆は章帝の時代に中常侍となり、権力絶頂期の竇憲にへつらわなかったことで和帝の信用を得ていました。そして、竇憲誅殺後は宦官の最高位である大長秋に任じられます。

 班超の帰国と同じ102年には、鄭衆は鄛郷侯に封じられます。宦官が侯に封じられたのは鄭衆に始まります。それだけではなく、養子を取ることが許されました。養子制度はこの後に他の宦官へも拡大されていきます。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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