2020年03月29日

後漢 人口統計の不正 徴税を逃れようとした富裕層は役人と結びついて調査を誤魔化すも、露見して多くの者が獄に下される

 これに先立って、何度も奴婢を解放していますし、徭役の徴発も10分の1に減らして、流亡した農民の穴埋めをしています。その結果、得られた結果は2200万人でした。前漢末の調査では6000万人だったわけですから、新崩壊から後漢成立までの混乱で3分2の人々が亡くなった計算ですね。

 戸籍調査と並行して耕地の調査が行われたわけですが、これらが同時に行われたことは税の調査でもあったわけです。

 死と税金からは逃れられないという言葉がありますが、逃れられるものならどちらからも逃げたいと思うのは人の自然な感情の発露でしょう。そして、死を逃れるのは困難ですが、現在の多国籍企業のように税金から逃れることは、可能といえば可能です。当時の資産家も同じように税金から逃れようとしました。つまり、調査に対して不正を行って税金を誤魔化したのです。

 官吏たちは豪族の資産をより少なく、貧民に対してはより過酷な取り扱いをしました。太守たちの少なからずは豪族出身でしたし、下級官吏は恐らく豪族から賄賂を受け取っていたのでしょう。

 不正が露見したのは、陳留郡からの報告書に「潁川、弘農には問い合わせをして良いが、河南、南陽にはしてはならない」との文言があったことからです。何のことか理解できなかった劉秀が問いかけると、皇太子の劉陽は「潁川郡や弘農郡の報告書は信用できますが、河南郡や南陽郡の報告書はあてにならないという意味ですよ。河南郡は洛陽が含まれて高官が多くいますし、南陽郡は陛下の故郷で近親者が多くいますから不正が多いのです」と答えてみせました。

 劉秀が調べさせると、不正の証拠が次々と明らかになります。不正申告した地方の役人たちは処罰され、翌年には郡の太守10人余りが下獄し、獄死しました。

 恐らくはこれが影響して顕官からも獄死者がでています。河北転戦の際に有能なことから各地の行政を任せられ、統一後は大司徒となっていた欧陽歙は、1000万銭以上という多額の収賄を行っていたことから逮捕され、獄中死しています。なお、欧陽歙の先祖は秦代に道士の伏生から『尚書』を受け継ぎ、以後代々博士となってきたという家柄です。彼が獄死したことで、息子の欧陽復が後を継ぎましたが、子を得ないまま亡くなったため、その血統は途絶えています。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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