2020年03月05日

後漢 斉平定 耿弇は巧みな用兵で張歩の軍を破り、張歩を降伏に追い込む 劉秀は耿弇を韓信に勝ると激賞

 西安を守る張藍は臨?が落ちたことを知ると、張歩のもとへ帰還しました。

 戦国時代の斉の首都臨淄を落とされたとは言え、張歩はまだ10余万という、耿弇を圧倒する大軍を擁していました。張歩は麾下の軍を20万と号し、連戦で疲れ果てている耿弇軍を一気に殲滅すべく、臨淄の東へ軍を進めました。

 魯に駐屯していた劉秀は自ら耿弇を救おうと、斉へ向かいます。

 臨淄では、耿弇はまず淄水のほとりで張歩の弟の張異の軍と遭遇します。ここで大勝してしまえば張歩を引き込めないと考えた耿弇は、敢えて敗れたように見せかけて臨淄へ逃げ込みます。張歩は勢いづいて城外の陣地に猛攻を加えました。それを見た耿弇は自ら軍を率いて撃って出ると、張歩の軍の横腹に突撃しました。

 戦いは激しく、その最中に飛矢が耿弇の股に当たりましたが、彼は直ちに刀でそれを切り落としたため、誰も耿?の負傷には気が付きませんでした。夜まで続いた戦いは、耿弇が張歩に打撃を与えたものの、包囲は続くという状況で終わりました。

 耿弇の部下は、「敵は意気盛んです。暫くは城を固く守り、兵を休ませるべきです」と主張しましたが、「もうすぐにでも主君の輿がやってくるのだから、宴会の準備をして待つべきときだと言うのに、主君のために敵を残しておけというのか」というと、1日のみ休息をとっただけで再び出撃します。朝から夜遅くまで戦いは続き、耿?は敵を散々に破って張歩を撤退に追い込みました。

 張歩が退却する途中、にわかに左右より耿弇の伏兵が現れます。耿弇は張歩退却を見越して戦いの途中に一部の兵を割いて待ち伏せさせていたのです。斉軍の戦死者は8〜90里に渡って連なり、耿弇は輜重2000両余りを鹵獲するという大勝利でした。

 臨淄に到着した劉秀は、耿弇の功績は無抵抗の斉を得ただけの韓信をも凌ぐと激賞しています。そして、劉邦が酈食其を煮殺した田常を許したのと同じように、自分も張歩が降るのであれば許すと告げさせます。張歩は肩脱ぎして(処刑される覚悟を見せて)降伏し、斉は平定されました。

 耿弇は張歩を劉秀のもとへ送り、平寿城に入ります。斉の兵はまだ10万を数え、輜車は7000両もあったそうです。戦いで得た物資や兵は、劉秀の軍に組み込まれていくことになります。

 この後も耿弇は農民反乱の鎮圧に奔走し、勝利を重ねることになります。


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posted by 仲井 智史 at 13:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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