2020年02月20日

後漢 河北の掌握 劉秀は劉玄により派遣されていた謝躬を排除することに成功、長く思いを寄せいていた陰麗華を故郷から呼び寄せる

 宣言どおり、劉秀は賊を破ります。賊は北方の隆慮山という山に逃げ込みました。謝躬は魏郡太守の陳康に鄴を守らせ、自ら賊を攻撃します。しかし、追い詰められた敵は必死に戦い、その鋭鋒には当たるべからざる勢いがありました。謝躬は敗れ、鄴に戻ります。

 ところが、この間に劉秀は呉漢と岑彭に鄴を襲わせていました。城を囲んだ呉漢は城内へ使者を送り「上智は危機にあって幸運に頼らず、中智は危うい状況で功績を挙げ、下愚は危険な状況になっても気づかずに安穏として自ら滅ぶ、と言われます。現在、長安は乱れて各地で騒乱が起こっていること、貴公の知る通りです。蕭王(劉秀)の軍は強く、兵士はよく従っています。河北が彼の下に帰すこと明らかでしょう。謝躬は蕭王に背き、衆望を失っていること、貴公の知る通りです。今、貴公は鄴に孤立し、ただ滅ぶのを待つばかり。義の立つところはなく、節義も守りようがありません。城門を開いて我軍を受け入れ、禍を転じて福となし、下愚の敗北を免れて中智の功績を挙げましょう」と説得します。

 陳康は説得を受けて降伏しました。僅かな手勢とともに帰還した謝躬は捕らえられ、平伏するも呉漢は「何故、鬼(日本の感覚では幽霊)と語らねばならぬ」と言い、謝躬を誅殺しました。これで、劉秀は河北における政敵を排除したことになります。

 同じく25年、劉秀は故郷の南陽から、陰麗華を貴人として迎えます。この女性は近隣でも有名な美女でした。「仕官するなら執金吾、妻を娶るなら陰麗華」と嘆じて彼女との結びつきを望んでいました。なお、若き日の劉秀は、長安に遊学した際に見た執金吾(首都の警備長官、2000石)の豪華な行列をみていたため、上記のセリフが出たとのことです。

 陰麗華とはまだ河北に来る前に結ばれてはいたのですが、遠征の際には故郷に残していました。ようやく落ち着いたので呼び寄せたのです。

 26年、劉秀は妻の縁戚である劉揚を誅殺します。
 
 劉揚は河北で王朗が劉林に擁立された際、王朗に与していました。しかし、説得を受けて劉秀へ鞍替えし、劉秀は結びつきを強めるために彼の姪を娶ったのでしたね。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 後漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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