2020年01月31日

新 王莽の死 漸台での死闘は、矢尽き刀折れるまで続いたが、衆寡敵せず遂に王莽は殺される 平帝の妻だった王莽の娘は炎に我が身を投じる

 大司馬王邑、王林、王巡らは決死の抵抗を見せました。弓や弩が雨あられと矢を降らせましたが、やがて、矢が尽きます。

 絶望的な状況に、王邑の子の王睦は逃げようとしましたが、王邑はこれを叱りつけて呼び戻しました。結局、王邑親子らは戦死するまで戦い抜きました。

 昼過ぎ、反乱軍は漸台へ侵入しました。抵抗を続けていた侍官は全員、戦死したと伝えます。そして、商出身の杜呉が王莽を刺殺して璽綬を奪いました。

杜呉は自分が斃した相手が王莽とは気づきませんでした。それを知ったのは、校尉の公賓就です。公賓就に遺体の場所を尋ねられた杜呉が指差すと、公賓就は王莽の遺体に駆け寄り、その首を刎ねました。

 横たわる遺体が王莽のものだと知った兵士たちは我先にと駆け寄り、残った遺体を切り刻んでその肉を食ったと伝えられます。

 王莽の首は宛に送られ、市場に晒されました。首をムチで打ったり、舌を切り取って喰うものがいたということで、王莽に対する民衆の恨みの深さが伺い知れますね。
 
 なお、この時に平帝の妻で黄皇室主となっていた王莽の娘は「どのような面目があって漢の方と見えることができるでしょうか」というと、自らの身を火中に投じ、亡くなりました。

 王莽の野心の炎は、ただ王莽1人を焼き尽くしたのではなく、一族をも滅ぼす破滅的なものとなったのでした。

 後世における王莽の扱いは、ほぼ最悪と言えます。実際、古礼とやらに基づく、現実から遊離した改革は混乱を齎しました。
一方で、祭祀の点で言えば、王莽の改革は当時の人々から見て妥当性の高いものだったようで、遥か後々まで受け継がれていくことになります。



面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^
人気ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村