2020年01月29日

新 反乱相次ぐ 昆陽の戦いで新軍が大敗したことを受け、隴西の隗囂らは自立、相次ぐ反乱に動揺した長安ではクーデター計画が練られる

 なお、大軍を指揮した王邑は、かつて翟義の反乱で首謀者を捕えることができずに王莽の叱責を受けたことがあります。先の叱責を踏まえ、王邑は劉秀らの生け捕りを大前提に考え、退路を塞ごうと昆陽を包囲しました。

 兵法の説くところでは、全包囲は、敵が死地に置かれたと考えて必死で抵抗するため下策だと言います。攻撃側は敢えて一箇所は包囲を開けておき、そこから逃げられるようにすれば、逃げたいという気持ちが働いて敵の徹底抗戦の意思を挫くことになる、というのです。

 このようなことは王邑も知っていたのでしょう。しかし、それよりも絶対的権力者に従わなければならないことが拙攻につながりました。後出しジャンケンで部下を叱責することは決してプラスには働かないことの良い事例だと思います。

 昆陽の戦いにおける新軍敗北が地方に伝えられると、隴西で隗囂が大将軍を自称して自立、蜀では公孫述が新から独立するなど、各地で新からの分離独立の動きが加速しました。拍車をかけたのは、隗囂が各地へ送った反王莽を訴える檄文です。

 反乱が続いたことは政権中央にも動揺をもたらします。その動揺は、政権中枢部が企画するクーデター計画へと結実しました。

 陰謀のきっかけとなったのは、衛将軍王渉の厄介になっていた道士西門君恵が王渉に告げた、「箒星が宮殿を払い、劉氏が復興しようとしています。国師公のお名前がそれに当たります」という予言です。

 この王渉は、王莽に大司馬を譲った王根の子、つまりは王莽の従兄弟に当たります。血縁でも地位でも王莽に極めて近いところにいた王渉ですら、予言を信じてしまうほど讖緯説に見られる神秘思想は蔓延していました。

 もっとも、昆陽の戦いにおいてかつてない大軍が壊滅したことを見れば、予言がなくてもクーデターが起こっても不思議はないようにも思いますが。

 さて、西門君恵の予言を聞いた王渉は大司馬董忠を誘い、劉歆を担いでのクーデターを図りました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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