2020年01月25日

新 呂母の乱 些細な罪で処刑された呂の母親は悪少年を抱き込んで反乱を起こす 悪少年とはどのような人々か

 なぜ、「呂のお母さん」としか表記されないような、名家の生まれでもない女性が反乱を起こしたのかというと、単なる私怨です。

 これに先立つ後14年頃、呂母の息子が微罪で海曲県の県宰に処刑されていました。呂母は県宰に復讐することを決意します。とはいえ、彼女には何の力もありません。ただ、彼女には金はありました。

 呂母は多くの資産を持つ富豪で、酒屋を営んでいました。彼女は密かに刀剣類を集め、平行して酒を買いに来る若者には掛売りしたり貧しい者には衣服を与えたりして恩を売りました。やがて、家財が尽きます。若者たちは酒代を返そうと呂母のところに集まりました。しかし彼女は掛売りの支払いを求めるのではなく、涙ながらに若者たちに復讐の助力を頼んだのです。

 もし相談を持ちかけられた「若者」が、今日の私達が想像するような、若く元気な大学生くらいの存在であれば、このような相談は通報、逮捕、裁判、処刑という決まりきったルートを辿ったことでありましょう。

 しかし、この若者というのは、亡命者や当時悪少年と呼ばれた存在です。その母体となっているのは農家の次男以降の男児です。彼らには継ぐべき家や土地がありません。都市に流入し、その日暮らしの生活を送っている者たちでした。

 失うものなどなにもない悪少年たちは意気に感じ、彼女に協力することを誓いました。呂母の下には数千人の悪少年を集め、海曲県を攻撃して県宰を捕えてその首を息子の墓に捧げました。こうして彼女の復讐は成就しました。

 呂母の行動は反逆に他なりませんが、不思議なことに復讐そのものは認められていたため、王莽は呂母の行動を咎めず、許して解散させようとしました。

 しかし、呂母たちは解散せず、新へ反旗を翻したのです。

 なにせ、呂母の下に集った亡命者や悪少年たちは、落ち着いても何も残らないのです。それよりもむしろ、反乱を継続して奪えるものを奪うほうが、豊かになれるのです。特に、貨幣改革の失敗に起因するインフレーションは、若者たちを反乱に誘う要因となったことでしょう。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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