2020年01月19日

新 名称変更 三公を始めとする役職名、行政区画、地名に加え、外国への印綬も中国に服属するような表現に変更される 

 大司馬、大司徒、大司空の3公は漢初の丞相、御史大夫、太尉に相当する役職です。大尉は武帝の時代に廃止され、大司馬がその役割を担っていました。衛青や霍去病、後に霍光ら、錚々たる人物が就いてきた役職で、最高の輔政者でした。特に、霍光の独裁によって丞相の地位が形骸化して名誉職へと変わっていく過程で、大司馬の役割は拡大されました。哀帝期に丞相が大司徒へ、成帝の末年から御史大夫が大司空へとその名を変えています。

 その他の官位名も、例えば大司農が義和というように、全て変更されました。

 また、地方の行政区画も変更され、後2年の13州83郡20国1576県から、9州125郡2203県へと大きくその姿を変えられました。改革に合わせて地名も変えられたのですが、その後も頻繁に変更が繰り返され、中には5回変えられて元に戻ったところもあるそうです。

 漢王朝の与えた印綬は新のものと交換されました。交換は国内の文武百官だけではなく、外藩となっていた諸外国にも及びます。この際、何の事前調整もなく、印綬に刻まれた文字を王から侯へ格下げしています。全て、儒教論理の華夷秩序に基づいてのことです。

 例えば高句麗王は高句麗侯に格下げされました。なお、これが中国の史書に高句麗が登場する最初の事例とのことです。

 匈奴に対しては従来の「匈奴単于璽」から、「新匈奴単于章」にしています。「璽」は単于を皇帝と対等の立場として認めたものですが、「章」は臣下に対するものですから、あたかも匈奴が新に服属したかのような格好となったのです。単于印綬の交換と言われた単于は気づかずに受領しましたが、この姑息な工作に気がついて、旧い印綬の返還を求めます。しかし、新の使者は、単于が気がつけば古い印綬の返還を求めるであろうと予測し、既に旧い印綬を破壊していました。

 当然、匈奴を始め、諸外国との関係は険悪化します。王莽の現実を無視した、独りよがりな行動によって外交に致命的な打撃を与えたのですから救いようがありません。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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