2020年01月15日

新 貨幣改革の失敗 高額取引用の貨幣が作られたが、名目価値と実質価値の乖離が大きすぎ、贋金作りが横行する 翟義の反乱

 新たに追加されたのは、12銖で5銖銭50と等価値の大銭、5銖銭500と等価値の契刀、5銖銭5000と等価値の錯刀です。いずれも、名目価値が実質価値を遥かに上回るのが特徴です。歴史上、このような状況では必ず盗鋳が起こります。現代の貨幣は、偽札が作られないように透かしを入れたり特殊なインクを使ったりすることで偽札を防止していますが、それでも完璧に贋金が作られることを防止できていません。まして、古代の単純な作りの硬貨の場合、硬貨そのものから型取りした贋金を簡単に作ることができるわけですから、盗鋳が盛んに行われました。

 同時に、列侯以下が許可なく黄金を持つことを禁じ、政府に提出させることを命じましたが、画餅に終わりました。

 貨幣改革により、かえって経済はダメージを被ってしまったのですね。この失敗により、また貨幣改革が必要になりますので、その模様をもう少し先で眺めることになるでしょう。

 貨幣改革の失敗だけでも十分な内憂でしたが、更に軍事的な問題も発生します。即ち、国内における反乱です。

 東郡太守の翟義が劉氏の一族に連なる劉信を立てて反乱を起こします。劉信は東平王劉雲の子でしたが、父の劉雲が誅殺されたため、王位を継げなかったことから不満を抱いていたのです。

 翟義は各地へ「平帝を毒殺して天子の位を摂って漢王室を滅ぼさんとする王莽に天誅を下す」と檄を飛ばしました。応じる者も少なからず現れ、反乱の規模は10万以上を数えたとされます。

 大反乱の発生に、王莽は恐れて天子代行をやめて大権を劉嬰へ返還するとまで言い出す始末です。一方で、王邑や孫建ら8人の将軍を派遣して翟義を討たせようとします。

 ところが、都が空になったと見た槐里県(三輔、すなわち長安近くの県です)の趙明、霍鴻らが反乱に呼応して兵を挙げます。こちらも10万人にも及ぶ規模となりました。

 王莽は王級らに趙明らを攻撃させるのと同時に、長安城内の警戒も最大限に高めました。首都近郊の反乱があったのですから、城内からの呼応を恐れたのでしょう。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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