2019年12月12日

ミイラ アンデスのミイラ2 インカ帝国がミイラ文化を持つ西海岸砂漠地帯を飲み込んだ際、ミイラ文化がインカ帝国へ入る

 ミイラ文化の栄える西海岸砂漠地帯を領土として取り込んだ際、ミイラ信仰もまたインカ帝国に入り、新たな文化が花開くことになります。
インカ帝国はスペイン人によって滅ぼされることになるのですが、その際にスペイン人たちがインカ帝国についての記録を残しているため、少なくともインカ帝国末期における文化についてはある程度はっきり分かっています。

 エジプトではミイラは埋葬されましたが、インカ帝国では家族が亡くなると、ミイラ化した上で家族の一員として共に暮らしていました。遺族たちはミイラに向かって、生前と同じように話しかけ、共に暮らしていたそうです。

 恐らくはこの風習がミイラの格好の違いも生み出しました。エジプトでは棺に収めるため、体を伸ばしていましたが、アンデスのミイラは顎の下で両膝を抱える格好でした。ミイラを保護し、家の中に置くにはこの格好が適していたのでしょう。生きた家族でも、いつも部屋で横たわって過ごされては邪魔になってしまいますからね。立たせれば良いかというと、その場合は不安定になってしまい、倒れて損傷を受けることも多いでしょうから。

 皇帝に対してはミイラ化のための高度な技術が用いられました。

 なんといっても内臓の腐敗が失敗のリスクなので、腹部を切り開いて内蔵を取り出します。内臓は香料をまぶし、ファコと呼ばれる儀式用の箱に入れられ、寺へ納められました。そして遺体の腹の中には芳香剤や香水、タロイモの皮などを詰め込み、更に口から香料を流し込みます。恐らくは殺菌作用のあるものが使われ、腐敗を防ぐのと同時に芳香を与えたのでしょう。更に、遺体は乾燥室に入れられ、太陽の熱や熱風を当てて乾燥させられました。

 ミイラ化の流れはスペイン人の年代記作家たちが書き残したものですので、記録に基づいたものです。スペイン人はミイラがまるで生きているかのようだった、と書き残しているそうです。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | ミイラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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