2019年11月09日

前漢武帝後 霍光独裁8 民間に逃れて生きていた衛太子の遺児の劉病已が探し出され、皇帝として擁立される

 困り果てた霍光に、光禄大夫の丙吉が「私が幼い頃から知っており、今は民間にいる年齢18、9歳の病已という若者が、実は武帝の曾孫に当たります」と言い始めます。

 聞けば、劉拠が巫蠱の乱で一族を滅ぼされた際、赤子だった病已も獄舎に入れられたのですが、丙吉が助けて母方の祖母に育てさせた、というのです。しかも、張賀が資金を出して教育も受けさせていました。

 何やら甚だ怪しい気もしますが、霍光は渡りに船とばかりにこの病已の擁立を決めました。

 しかし、病已を即位させるためには1つだけ問題が有りました。それは彼の名前です。中国には目上の人の名前を言ったり書いたりしてはならないという諱の風習がありましたね。「病」などはそれこそ大量に使われていますから、これを使えなくされるのは困るわけです。そこで、名を詢に変更し、一度陽武侯という列侯に封じられ、続いて皇帝へ登りました。これが宣帝です。

 霍光は一線から退こうと皇帝に申し出ますが、新皇帝はこれを認めませんでした。

 民間からきた人物が、突然全てを見ることなどできませんから、当然といえば当然の判断でしょう。また、引き止めることで霍光派の人々へ恩を売ることもできると考えれば、妥当な判断だったと思います。

 同年11月、宣帝は妻の許氏を皇后とします。2人の間には既に2歳になる男児が生まれていましたから、極めて妥当なことだと思います。

 ところが、即位4年め、妊娠中だった皇后の許氏は女医淳于衍に渡された丸薬を飲んだ直後に急死してしまいます。この極めて怪しい状況下の死に、当然のことに調査が開始されましたが、霍光によって中止されてしまいました。

 当時は原因不明で片付けられてしまったこの事件、実は、霍光の妻の顕が自分の娘を皇后にするために女医に命じて丸薬に毒を仕込ませた、とされています。顕は夫の霍光にも黙って犯罪に手を染めたわけですが、調査が進むと自分の関与が暴かれてしまうと、夫に泣きついて捜査をやめさせたのでした。顕の陰謀は実を結び、娘の成君は皇后となりました。

 天道是か非かと嘆きたくなる気持ちはよくわかります。彼らの行く末について、ゆっくり見ることにしましょう。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 前漢武帝後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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