2019年10月27日

前漢武帝後 昭帝即位 武帝は霍去病の弟の霍光、匈奴から降った金日磾、上官桀の3名に後事を託し、死去するこの3人について

 翌日、侍中・奉車都尉・光禄大夫の霍光、侍中・駙馬都尉・光禄大夫の金日磾、太僕令の上官桀の3名が病床にある武帝のもとへ参じます。武帝はこの3名に、劉弗陵を補佐することを頼みました。そして、霍光を大司馬大将軍、金日磾を車騎将軍、上官桀を太僕兼左将軍に昇進させました。いずれも軍を握る立場ですから、彼らの軍事力を頼みとしたわけですね。

 霍光は霍去病の異母弟に当たります。異母兄が夭折した後も武帝の厚い信頼の下で着実に出世を重ねていました。

 金日磾は漢人ではなく、休屠王の元太子という生まれです。前121年に渾邪王が漢に降った際、休屠王もともに降ろうとしていたのですが、躊躇いを見せたために渾邪王は休屠王を殺し、金日磾とその家族を連れて漢に降ったのでした。

 上記の経緯より、渾邪王は盛大にもてなされたのですが、金日?は官の奴隷とされてしまいます。匈奴出身者らしく、ウマの世話を任されていた金日?は、武帝がウマの観閲を行った際、偉丈夫だった金日?に目を留め、宮中に召されたのでした。金日磾は篤実に武帝に仕え、気に入られながらも増長するようなことはありませんでした。彼は2人の子を武帝の傍に仕えさせていたのですが、長子が官女と戯れたことから、長子を自らの手で殺してしまった程です。武帝は涙を流して悲しみながら、金日磾の忠心を讃えました。

 その姓の「金」は、霍去病が戦利品として金日?の父休屠王が天を祀るのに用いていた金の像(金人)に因んで武帝により与えられたものです。

 上官桀は怪力を認められて武帝の側近となった人物で、李広利の大宛遠征でも功績をあげていました。

 上記3名は、武帝の死の前年、かの江充とも親しかった侍中の莽何羅による武帝暗殺未遂事件を未然に防いだ、という共通点もあります。

 劉拠の死を冤罪と思うようになっていた武帝は、江充の一族を滅ぼしただけではありません。潜んでいた劉拠を斬った(あれ?首を吊ったのではなかったんでしたっけ?などと突っ込んではいけません。きっと大人の事情があるのです)者を一度は昇進させましたが、後に一族もろとも滅ぼしています。莽何羅の弟も、劉拠と戦ったことで列侯に封じられていたので、彼らは自分たちも誅殺されるのではないかと恐れたのです。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 前漢武帝後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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