2019年10月25日

漢武帝 李広利の破滅2 李広利は遮二無二匈奴を攻めるが、無茶な進撃は破綻を来し、軍は敗北して李広利は匈奴に降る 李広利の憐れな死

 しかし、ここが李広利の攻撃の限界点でした。漢軍の疲弊を悟った狐鹿姑単于は、自ら5万騎を率いて李広利に夜襲をかけます。無理な進軍で疲れ切っていた李広利の軍は敗北しました。

 大勝利の夢が潰えた今、李広利に残されているのは、漢に戻って処刑されるか、戦い続けて戦死するか、降伏するかの3つしかありません。そして、李広利は3つ目を選びました。当然のことですが、人間、降伏するくらいなら死ねと言われてもなかなか死ねないものです。

 李広利の降伏を知った武帝は彼の家族を全員処刑させます。李広利が敗北した時点で彼らの運命は決していたでしょうから、殊更に李広利を薄情と非難することはできないでしょう。

 前89年、匈奴に降った李広利が殺されます。

 匈奴の狐鹿姑単于は李広利を気に入り、娘を嫁がせて重用しました。面白くなかったのは衛律です。衛律は李広利を追い落とす機会を虎視眈々と狙っていました。その機会がやってきます。即ち、狐鹿姑単于の母の大閼氏が病気になったのです。

 衛律は占師に「先代の単于の霊が、李広利を生け捕りにできれば地神に祀ると誓ったのに、なぜ生贄にしないのか」と言わせます。匈奴は占いを大切にしますから、この結果を無視するわけには生きません。憐れ、李広利は捕らえられ、殺されました。

 同年、漢では田千秋が現在の新疆に位置する輪台に屯田することを上申します。

 劉拠の無罪を訴えて登用されただけで他に何一つ功績のない田千秋は、宰相の劉屈氂が処刑されるとその後釜に据えられました。武帝の心がそれだけ弱まっていたことを示しているのでしょう。

 田千秋らの屯田案を、しかし武帝は認めませんでした。却下した理由に挙げられているのが、李広利の敗北で多くの兵が捕虜になったり戦死したりした傷を癒やすため、というものです。民を豊かにするため、苛斂誅求や税の追加を止め、軍備は整えるだけに留めるよう命じました。

 遂に、長きに渡った対匈奴戦争は終結を迎えたのです。

 外交問題が片付いてみると、国内の問題が浮上してきます。老いた武帝にとっても、その息子たちにとっても、最大の課題は後継者問題でした。劉拠が死んだ後は後継者は定まっていませんでしたから。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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