2019年10月24日

漢武帝 李広利の破滅1 出陣の前夜、李広利は劉屈氂に昌邑王劉髆が皇太子になるよう働きかけるが、密談が漏れて劉屈氂は処刑、李広利の家族も囚われる

 出陣の前夜、李広利は丞相の劉屈氂との酒宴を開きます。劉屈氂は李広利の娘を娶っていましたから、2人は義理の親子関係に会ったのです。宴席上、李広利は妹の李夫人と武帝の子である昌邑王劉髆が皇太子となるよう密談します。

 翌日、李広利は渭橋まで見送りに来た劉屈氂に、「早く昌邑王を太子に立てるよう、陛下に願ってください。昌邑王が帝となれば、貴方には何も憂いがなくなるでしょう」と説きます。

 確かに、劉髆が即位すれば劉屈氂は新皇帝にとって父方でも母方でも親族となるわけですから、恐れるものは何もないでしょうね。

 ところが、宦官の郭穣が、「丞相の夫人は丞相が陛下から譴責を受けていることから陛下を呪っています。また、弐師将軍と共に昌邑王を帝位に就かせようと祈祷しています」と告発したことから、劉屈氂は腰斬にされ、妻子も斬首されました。李広利の妻と娘、更に兄の李延年一家は投獄されました。

 なお、この際に昌邑王劉髆は、陰謀に加わっていなかったことから許されています。

 劉屈氂に代わって丞相となったのは、劉拠の無実を訴えた以外は何の実績もない老人田千秋です。武帝は足の悪い田千秋のために、車で宮殿に入ることができる特権を与えました。このことから、田千秋ではなく車千秋と呼ばれることもあります。後に匈奴は「漢の丞相とやらは賢者がなるものではなく、ただ上書しただけで良いという程度なのか」と皮肉っています。もっともなことですね。

 一方、遠征軍は匈奴相手に奮闘していました。

 漢軍の出撃を知った匈奴は、まず西河方面の軍へ李陵らを派遣し、漢軍を攻撃させます。しかし、漢軍の奮戦を見て軍を引き、今度は右大都尉や漢人の衛律らに李広利を攻撃させました。

 李広利は匈奴軍を破り、敗走する匈奴軍を追撃し、左賢王と左大将の軍と戦って左大将を打ち取るという功績を挙げました。この時、李広利は漢に残してきた自分の家族が捕らえられたことを知っていましたので、大勝利を挙げて罪を購おうとしていたのです。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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