2019年10月21日

漢武帝 史記の改変 史記の武帝に関する記述は後世書き換えられている 

 史記の結びを思い返してみましょう。麒麟ではなく、方士についてが最後の記述でしたね。しかも、武帝についての伝記は「今上本紀」ではなく、同時代の人間には知りようのない「孝武本紀」です。武帝とは諡号ですから、武帝の死後にしか分かりませんからね。

 これを考えると、司馬遷が著した武帝に冠する記述は失われ、現存するものは後の世に付け加えられたことが分かります。

 武帝時代の最後の記述について、武帝が削除させたという説があるのも頷ける話ではあります。春秋が高級官僚のほぼ必須条件のような中で、司馬遷の意図が気づかれないはずがありませんからね。

 例えば、後漢の明帝は史記を記したことは讃えられるべきことだとしながら、当世を謗ったことについては非難しています。

 後世に手が加えられたということを理解した上で、史記を改めて見てみましょう。全130編、536,500字というこの大作について、『第03巻 ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国) (中国の歴史 全12巻)』は、木簡1枚に1行35字とすると1万5000枚と計算しています。その内容については『十八史略で読む史記』が簡潔にまとめているので引用しておきます。

 『史記』は、中国最初の通史で、黄帝から前漢武帝期までを扱う。有史以来の主な国家の編年史を「本紀」12巻とし、政治史を中心とする歴史過程の大綱を示し、その歴史過程の認識をより正確にするために、系図および年表を10巻の「表」に示す。そして、儀礼・制度・音楽・天文・暦法・祭祀・治水・経済などの分野史を8巻の「書」に著し、諸侯の国々の歴史を30巻の「世家」として書す。最後に多くの人物の伝記を70巻の「列伝」において叙述した。あわせて130巻。司馬遷はこれを『太史公書』と名付けた。


 太史公書が私達に馴染みの深い史記と呼ばれるようになるのは後漢の霊帝以降のことです。

 もちろん、この膨大な著作をたった1人で一から作ることは不可能です。出土した同時代史料の研究から、9割以上は先行する文献から集めたとされています。例えば、孫武が呉王の前で後宮の女たちを調練する話は銀雀山から出土した史料に見ることができます。こうした先行文献が史記の糧となったのですね。

第03巻 ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国) (中国の歴史 全12巻)
第03巻 ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国) (中国の歴史 全12巻)


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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