2019年09月22日

漢武帝 南越併呑1 南越の王族は漢からの人質要求を拒否 漢は越の太后の昔の愛人を使者に送り込む

 さて、劉勝が世を去ったのと同じ前113年、漢は南越へ軍を派遣します。

 武帝は前135年に閩越に攻められた南越を救ったことがあります。これが武帝の対外攻勢の嚆矢となったのでしたね。?越の攻撃を受けた時の南越王は趙佗の孫の趙胡でしたが、このときには更に趙胡も没しており、超胡の孫の趙興が即位していました。

 趙興の父で先代の王の趙嬰斉はかつて長安で人質となっていたことがありました。趙嬰斉はここで見初めた女性との間に趙興を設け、皇后としたのでした。この皇后、いえ、趙嬰斉没後は太后は、趙嬰斉に見初められる前に安国少季なる人物と親密な関係にありました。

 漢は何度も趙胡や趙嬰斉に入朝を求めていましたが、彼らは下手に長安に赴いて囚われの身になっては面白くないと、病気と偽って入朝を拒否し続けていました。

 趙興が即位すると、漢は彼にも入朝を促す使者を送ってきたのですが、問題はその人選です。なんと、選りにも選って、太后の過去の男・安国少季こそがその使者でした。どう考えても偶然ではありえない人選ですよね。武帝または側近が事情を知って、過去の男の説得なら受け入れられると踏んだか、はたまた安国少季が立候補したか、いずれかでしょう。

 2人はたちまちよりを戻し、密会するようになります。太后は中国出身ですから、南越人ばかりの環境を好んでいなかった、というようなことが背景にあるのかもしれません。

 しかし、異国の使者が太后としばしば、それも人目を忍んで会っていれば、露見するのは時間の問題ですよね。案の定、少なからぬ者が事情を知り、そして太后の言うことを聞かないようになっていきました。このまま放置していれば、あるいは反乱にまで至るかもしれないと考えた太后は、漢の権威を頼ろうとし、南越は漢に臣従するのが良いと主張し始めました。

 南越王は母の主張を容れ、3年に1度の入朝や国境の関所の廃止を申し出ました。漢に否やがあるはずもありません。武帝はこの願いを許可しました。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 漢武帝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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