しかし、武帝が罰したいと思う者は厳しい罰を与える廷吏に、許したいと思う者は寛大な廷吏に審判を委ねたとされていますので、人格は高潔ではないのでしょうね。上司からすれば、自分の望んでいる結果を出すので望ましい部下だったのでしょうが。
淮南王の反乱はこうして収まったわけですが、武帝は劉安が入朝した際に田蚡が「現在武帝には跡継ぎがいないので、陛下に万一のことがあった場合には王が跡を継がれるでしょう」と言っていたことを知り、激怒して「もし田蚡が生きていれば族滅するところだ」と言っています。田蚡がこのころまで生きていなかったのは不幸中の幸いかもしれません。
武帝はこの逸話に見られるように極めて激しい気性の持ち主でしたが、それをうまく扱うことができる部下もいました。斉出身の東方朔なる人物です。
東方朔の名は、史記滑稽列伝に見ることができます(ただし、岩波文庫の『史記列伝 5 (岩波文庫 青 214-5)』は 、司馬遷本人が記したわけではないことが明白であることから訳出されていません)。彼は木簡3000枚(!)からなる自薦を武帝に送ります。曰く、「私は22歳で、勇猛果敢で恐れ知らず、知略に富んでいるので大臣に向いています」というもので、その自信には清々しいものを感じます。
彼は史書を始め多くの文献を読んでいた(活字中毒者のはしりのような人物だったのでしょう)ようで、3000枚の自薦の木簡も皇帝が読むのに耐えるものでした。武帝は2ヶ月かけて読み、東方朔を気に入って登用しました。

史記列伝 5 (岩波文庫 青 214-5)
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