2019年05月19日

前漢 劉邦勝利の理由 劉邦は宴会で、自分は蕭何、張良、韓信という傑物を使いこなせたから項羽に勝ったと振り返る

 さて、皇帝即位直後、臨江王の尉が反乱を起こし、鎮圧に数ヶ月掛かるといったことが起こりますが、これで一通りの戦いは終わったと、兵士たちを故郷に帰します。そして、洛陽で大宴会を催しました。

 「列侯、諸侯たちはどうして朕が天下を取れたと思うか」

 すっかり上機嫌の劉邦がこう尋ねると、王陵が進み出て、劉邦は人を侮蔑し項羽は尊重するが、いざ部下が戦功を立てると報奨で報いないために天下を失った、と言いました。

 劉邦は、貴公は一を知って十を知るとはならない、と言った後で、自分が天下を取った理由をこう纏めます。

 「帷幄の内にあって謀を巡らし、千里も離れた場所の勝敗を決することでは、朕は張良に敵わない。国家を安定して経営し、人民を安堵させ、糧食を滞りなく補給することにおいて、朕は蕭何に敵わない。戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず陥落させることでは、朕は韓信に敵わない。この3人の人傑を、朕は使いこなすことができる。しかし、項王は楚軍のたった1人の傑物である范増を使いこなす事もできなかった。これが朕に敗北した理由である」

 有為な人材を味方につけることができたことが劉邦の勝因である、というのは劉邦も理解していたのですね。それにしても張良を評した、「帷幄の内に謀を巡らし千里の外に勝敗を決する」というのは名文句です。

 さて、劉邦はこのまま洛陽を都にしようとしたのですが、婁敬という者が謁見を求め、堅牢な関中に首都を置くべきだと進言します。多くの者は東方出身だったこともあり、関中ではなく洛陽を首都とすることを望みました。そこで劉邦が張良にその是非を問うたところ、張良も関中を推しました。

 劉邦は最初に関中を推した婁敬に「劉」の姓を与えました。以後、婁敬を劉敬と呼ぶことにします。彼の案を採用すると、劉邦は間もなく関中に向かいました。



面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 前漢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^
人気ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村