恵王は王を自称するに過ぎない現状がさぞ悔しかったのでしょう。どうしても他国とのつながりにおいても王号を用いたかった恵王は、斉と互いに王と呼び合うことにすることで、「自他ともに認める」王となったのでした。
自称同士が傷を舐めあってるだけではないかとの見方もできるかも知れませんが、一方でこれは国際関係において堂々と王を名乗っても、誰からも掣肘を受けない(止める力を持つ者が存在しない)という現実を突き付けたことも意味していました。
しかし、この措置は両国の精神的な紐帯を生んだわけではありません。
馬陵の戦い後、魏では斉に復讐の機運が高まります。魏は強国の地位を失ったのですから当然でしょう。互いに王と呼びあうようになっても、その雰囲気は変わりませんでした。魏の恵王は恵施という人物に全軍を挙げて斉を討ちたいがどうかと諮ります。恵施は、魏は敗れたばかりで兵力がないので、勝利は期待できないと伝えます。それどころか、意外な策を授けました。斉に臣従する、というものです。
楚王もまた、覇権を握ることを望んでいました。魏が斉に臣下の礼を取れば、楚は怒り、斉の力を削ごうとすることでしょう。そうした状態で楚王を唆して斉を討たせれば、魏との戦いで疲弊した斉は楚に敗れる、と予言したのです。
かくして、魏王が参朝するとの申し出が斉になされます。宰相の田嬰は魏の申し入れを受諾しました。張丑という人物は「楚王は戦争好きで名義にこだわります。魏が参朝したとなれば、楚との衝突は避けられません。先の戦いが無い状態で魏と結んで楚を討てば勝てたでしょうが、今の状態では楚に勝てません」と諌めますが、田嬰は聞き入れませんでした。
恵施の読み通り、そして張丑の懸念通りに楚王は斉を敵国と睨むようになりました。その楚にチャンスが訪れます。魏と斉が互いに王号を唱えたまさにその年、斉に越が挑んだのです。
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