2018年05月05日

春秋戦国 晋の崩壊1 6貴族(6卿)が権力を握り、そのうち趙氏の内紛から智氏、韓氏、魏氏、趙氏が残る

 晋は公室が衰えます。既に紹介した通り、晋は驪姫のあたりのゴタゴタで、公子を外国に出すようになっていました。これは公室の藩屏ともなるべき層の喪失を意味しました。曹操の魏が兄弟間の跡目争いから親族の力を削いだ結果、内側から食い荒らされて乗っ取られたのと同じようなことが晋で起こっていたのですね。

 魏では司馬氏が力を握ったのと同じように、晋では智、魏、韓、趙、中行、范の6卿が権力を握りました。傾公の12年、6卿は公と仲の悪かった公子ら王室の有力者を殺害し、領土を分け合いました。

 前497年、趙家で内紛が起こります。超一族を束ねる趙鞅(趙簡子)が、勝手な振る舞いの目立つ傍系の趙午を殺害したことに端を発するもので、趙午の子の趙稷が邯鄲に拠って趙鞅に反旗を翻したのです。これに范氏と中行氏が加担、趙鞅は晋陽に立て籠もります。

 智氏、韓氏、魏氏は趙鞅に付き、彼らは更に晋公の定公をも動かして范氏、中行氏に対抗します。范氏、中行氏は敗れて朝歌に篭ります。こうして晋は4卿が支配することになりますが、范氏、中行氏は斉や鄭を味方につけて4卿に対抗します。最終的には前490年に范氏、中行氏が敗れて斉に亡命したことで一連の騒乱は終わりました。

 范氏と中行氏の領土は4卿が分け合いましたが、中でも最有力となったのは、中行氏の傍系という出自である智氏でした。

 智伯瑶見た目に優れ、武芸も達者で、芸術を好み、弁舌に巧みで剛毅かつ果断という優れた特質を持ちながら、甚だしく不仁であるという欠点を持つため一族の有力者からは後継者に選ばないよう進言されたこともあります。結果的にはこの言葉通りに彼は破滅を迎えることになります。健全な魂は健全な肉体に宿ることが願われるという1世紀に生きたローマ人ユウェナリスの嘆きが聞こえてきそうです。

 さて、智氏のリーダーが代替わりして智伯瑶が立った頃には智氏が完全に権力を握っていました。出公はその専横を憎んで4卿を攻撃しますが、逆に敗北して殺されます。智伯瑶によって哀公が擁立されました。


面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
ラベル:春秋時代 中国
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 春秋戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^
人気ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村