2018年05月04日

春秋戦国 斉の政変 田氏が徐々に権力を握り、遂には斉を乗っ取る

中国の怪談だと、祟りを為す存在をまず明らかにし、その上位職者に祟りをやめさせるよう働きかけるという形態になります。日本風に言えば、係長クラスの祟り神相手にいきなり役員クラスの神を持ち出しても駄目で、課長クラスの神に働きかける、というわけです。

 封神演義のような物語で、急々如律令などとあるのは、急々は読んで字の如し、如律令は「律令の如くせよ」ということで、大至急律令の通りに行動しなさいという呪文なわけです。勿論、律令は漢代に作られたものなので、それ以前の時代を描いた物語に使われるのは少々時代考証を誤っているわけですが、それは措いておくこととしましょう。

 イマイチ怖くない気がするのだけど、どうでしょうか。


 こうして春秋時代から戦国時代へと時代が移り変わりつつあったのです。では、何が両時代を画する契機となったのでしょうか。しばしば言われるのは、下剋上です。

 まず晏嬰が斉で活躍していた時代に時計の針を戻しましょう。この頃、大国となった斉の王室に、暗い影がさしていました。亡命してきた諸侯、田氏の力が伸長していたのです。

 有力者の田乞は、自領の民から徴税する時には小さな枡を、貸出する時には大きな枡を使うことで民衆から絶大な支持を集めます。晏嬰は「このままでは斉は田氏に帰するだろう」と述べ、田一族への警戒を解きませんでした。名将田穰苴を推した際にもそれは変わりませんでした。

 その警戒感は他の有力者も共有するもので、司馬穰苴は讒言を受けて罷免され、憂悶の内に死去しました。

 田乞もまた晏嬰に警戒され、前500年に彼が死ぬまで大夫になることができませんでした。晏嬰死後は、やはり田氏を警戒する高氏や国氏と親しく付き合い、裏では彼らを追い落とすための策略をめぐらしました。

 前490年、景公が死んで公子茶(と)が斉の公となります。翌前489年、田乞はクーデターを起こして高氏と国氏を逐い、権力を掌握します。田乞は同年中には茶を退位させ、更に殺害してしまいます。こうしたこともあり、茶は◯公という呼び方をされず、晏孺子と呼ばれます。

 茶を弑した田乞は、茶の異母兄の陽生を斉公に据えて悼公とし、自らは宰相となって実権を握りました。以後、田一族は権力を握り続け、前386年には田和が康公を廃位させ、斉公を自称します。田氏の簒奪以後の斉を田斉と呼び、姫姓の斉と区分することがあります。


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ラベル:春秋時代 中国
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | 春秋戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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