2017年11月14日

ローマ3 将軍スティリコ1 スティリコ、東西ローマ軍を糾合してゴート族を討とうとするが、足を引っ張られて失敗

 ところが、テオドシウス1世の死後からは、両国は別々の国としての道を歩み始めます。そして、ローマは二度と統一を取り戻すことはありませんでした。

 テオドシウス1世が死去した395年、フン族が来襲します。カッパドキアを荒らし回り、東方とローマの間を扼すアルメニアを征服します。

 まだフン族には民族全体を統べる支配者はおらず、小集団の単なる集合体に過ぎませんでした。そのため、この時にはまだローマにとって大きな脅威という存在ではありませんでした。後の事など知る由もなく、東西ローマはむしろ仲間割れに忙殺されていました。

 テオドシウス1世死後、東西後を継いだのはいずれも一人前とは言えない息子たちでしたね。実際には東ローマ帝国はルフィヌス、西ローマ帝国はスティリコが権力を握るところとなっていました。そして、両国はマケドニアとダキアの帰属を巡って争ったのです。

 両地域は東ローマ帝国の支配下にあったのですが、スティリコは本来なら西ローマ帝国の領地であるとして東に返還を求めました。当然、東ローマは拒否します。

 対立を見たゴート族のアラリックは、ローマに定住していたゴート族を率いて再び蠢動を始めます。定住し、農民となったように思われていたゴート族は簡単に農業を棄て去りました。彼らはガリアのケルト人と異なり、真の意味でローマに同化していなかったのです。

 領土争いなどしている場合ではありません。スティリコは東西の連合軍を率いてアラリックを討とうとするのですが、東ローマは実権者ルフィヌスが裏で糸を引いてアルカディウスに両軍の撤退命令を下させます。スティリコは撤退せざるを得ませんでした。

 スティリコの腹の虫は収まらず、宦官のエウトロピウスと結託してルフィヌスを暗殺させます。その結果、新たにエウトロピウスが東ローマの権力を握りました。

 しかし、彼はルフィヌス以上に反スティリコでした。自国領を荒らし回るアラリックをスティリコが討とうとすると、何とアラリックを総司令官に任命して西と対決させようとし、東の元老院にはスティリコを国家の敵に指名させる始末です。


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ラベル:ローマ フン族
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | ローマ3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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