2017年10月16日

ローマ3 コンスタンティヌス8 マクシミヌスの敗走と、ディオクレティアヌス妻子の非業の死

 マクシミヌス・ダイアは自分も皇帝との血縁関係を得ようと、ディオクレティアヌスの娘で故ガレリウスの妻だったウァレリアに求婚するのですが、拒否されます。後の流れを知るなら、彼女がマクシミヌス・ダイアの未来の無さを見抜いていたのかもしれないと思えますが、それにより彼女自身の運命は暗転することになります。マクシミヌス・ダイアは、ウァレリアとたまたま娘のところに来ていたディオクレティアヌスの妻プリスカを共に捕えてしまったのです。

 ディオクレティアヌスは抗議した上で妻子の引き渡しを要求しますが、マクシミヌス・ダイアは聞く耳を持たずに財産没収の上で2人をオリエントへ追放しました。

 同313年4月、マクシミヌス・ダイアはリキニウスをハドリアノポリスに攻撃しますが、敗北します。マクシミヌス・ダイアは歴史に記録されるべき速度で逃げ去ります。

マクシミーヌス帝が退却の際に示した信じがたい速さは、戦場での武勲にまさる語り草になった。すなわち、わずか二四時間ののちに帝は、顔面蒼白、身体を震えおののかせ、皇帝としての標章はすべて奪われながら、敗北した場所から、なんと、一六〇マイルも離れたニコメーデイアにあったのである。

図説 ローマ帝国衰亡史

 後のナポレオンを彷彿とさせる逃げっぷりです。このブログでも、彼の驚嘆すべきスピードに敬意を表して記録しておくこととしましょう。

 こうまでして逃げたと言うのに、マクシミヌス・ダイアの命運は間もなく尽きる定めでした。自殺か病死かはたまた他殺なのかは知りませんが、敗北後間もなく、タルソスで死去したのです。こうして東方はリキニウスの手に落ちました。

 ディオクレティアヌスの娘ウァレリアは母とともに義理の甥にあたるリキニウスを頼りますが、彼は母子に助けの手をさしのべるどころか、2人を殺害してしまいました。2人にはまだ政治的な利用価値がありましたから、リキニウスには邪魔者となっていたのでしょう。

 同じく313年に世を去ったディオクレティアヌスの無念を思うと、胸中察するに余りあります。

 さて、マクシミヌス・ダイアが退場したことで、ローマの皇帝はリキニウスとコンスタンティヌス1世の2名となりました。もう、2人はテトラルキアに戻そうなどというポーズすら見せることはありませんでした。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | ローマ3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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