2017年10月08日

ローマ3 ディオクレティアヌス9 東西の両正帝が突如引退を発表、テトラルキアは第2世代へ

 305年、驚くべきニュースがローマを駆け巡ります。東方正帝ディオクレティアヌスと、西方正帝マクシミアヌスが同時に退位を発表したのです。東方正帝にガレリウスが昇格、副帝はマクシミヌス・ダイアが指名されました。同じく西方正帝にコンスタンティウスが昇格し、副帝にセウェルスが任命されます。ディオクレティアヌスの特権的な地位はコンスタンティウスが継ぎました。

 ここまで、正帝・副帝に任じられた6人全員がバルカン出身の叩き上げの軍人です。ディオクレティアヌスがどのような人物を帝位にふさわしいと考えていたか分かります。もっとも、元老院が軍から切り離されていたため、元老院から軍を率いることのできる逸材が失われていたこともその背景なのでしょうけど。

 ローマの混迷は軍が好き勝手に皇帝の首をすげ替え続けたことにあります。副帝を後継者として任命しておくことで権力の継承をスムーズに行おうとするディオクレティアヌスが最後にやるべきだと考えたのは、安定した権力継承をやってみせることだったかもしれません。皇帝の中でもトップクラスに優れた資質を持つと賞賛されるのも分かる気がします。

 権力を一手に握りながら、社会を望ましいと思う方向に改革したら身を引く、という点ではスッラにも匹敵するかもしれません。ディオクレティアヌスもまた、理想とする社会の実現に向け強権を振るうことも辞さないけれど、権力に溺れないという高潔な人物でもあったのです。

 しかし、ディオクレティアヌスの譲位は、新たな混乱を生む序曲となりました。そのクライマックスにおいてディオクレティアヌスの親しい者も否応なく悲劇に巻き込まれていくことになります。

 第2次テトラルキアにおいても、正帝と副帝の間に親子の繋がりはありません。これはディオクレティアヌスに男児が居なかった影響もあるでしょう。しかし、この措置に前西方正帝マクシミアヌスの息子マクセンティウスは不満でした。彼は20代で、若すぎたこともあって副帝にすら任じられることが無かったのです。

 もし、第2次テトラルキアが1次同様に20年もの時を与えられていたならば、あるいはマクセンティウスの不満は表に出なかったのかもしれません。しかし、早くも翌年に、燻っていた彼の野望に大量の燃料が補給されるのです。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | ローマ3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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