2017年10月07日

ローマ3 ディオクレティアヌス8 ディオクレティアヌスの大迫害

 やがてキリスト教徒と噂されただけでも尋問にかけられるような法令まで発布されます。流石に伝統宗教の信奉者もキリスト教徒を庇うようになりました。キリスト教が国教になった後に伝統宗教が叩き潰されることになるというのは皮肉というべきかも知れませんが。

 こうして見ると、現代の先進国では信じられないようなことが行われていたことは事実です。しかし、大迫害と聞いてイメージするような、(ぞれこそナチスドイツがユダヤ人の殲滅に邁進したような)片っ端から捕らえて裁判無しで処刑していくといったことは無かったようです。

 『図説 ローマ帝国衰亡史 - 』では、ディオクレティアヌスの大迫害を主導したのはガレリウスで、ディオクレティアヌスは融和策を望み、迫害の勅令が出た後も流血には反対だったとしています。

 禁令が解かれた際のキリスト教側の記録から読み取れる結論として塩野七生はこう記しています。

第一に、死罪に処された人は相対的に少数で、それ以外の多くの聖職者もふくめて、牢生活か鉱山や工事現場での強制労働に駆り出されていたらしいこと。
第二は、少なくない数の棄教者がいたという事実。

ローマ人の物語 (13) 最後の努力 (ローマ人の物語 13) - 』より

 ローマを真剣に立て直そうとした皇帝たちがキリスト教を弾圧したところを見ると、労働力すら提供しようとしない社会集団に対して国が危機感を持っていたことが見て取れます。

 キリスト教政策はここで終わりとし、他の政策に戻りましょう。

 テトラルキアとは言いつつも、実質的にはディオクレティアヌスの統治の下でローマはかつての強国の地位を取り戻しました。

 西の副帝となったコンスタンティウスはブーローニュを奪還し、ブリテン島の支配も回復します。東の副帝ガリレウスはササン朝ペルシアの攻勢をよく防ぎ、298年にはクテシフォンを占領しています。勝利を背景にササン朝ペルシアと和睦を結び、メソポタミア地方は再びローマの支配下に復することになりました。領土という点でも、帝国内の安定という意味でも、帝国は安定しました。

図説 ローマ帝国衰亡史 -
図説 ローマ帝国衰亡史 -

ローマ人の物語 (13) 最後の努力 (ローマ人の物語 13) -
ローマ人の物語 (13) 最後の努力 (ローマ人の物語 13) -


面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | ローマ3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^
人気ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村