2017年10月06日

ローマ3 ディオクレティアヌス7 自分を「ドミヌス」と呼ばせ、一般人から遊離した存在へ 元首政から専制制

 テトラルキアの第一人者として、ディオクレティアヌスは帝国の改革に辣腕を振るいます。

 その1つが、皇帝の立場の変更です。皇帝に絶対的な権力を集中させるため、元老院議員に代えて騎士階級を重用したことです。騎士の地位の上昇は軍人皇帝時代からありましたので、ディオクレティアヌスの施策はその延長線上にあると言えます。皇帝によって引き立てられた騎士たちは、ローマ全体というよりも皇帝のために働く性格が強くなりました。

 独裁的な権力を握っていることを内外に示すため、皇帝の神聖化も進められます。具体的にはペルシア的なルールを導入し、容易に人前に姿を現さなくなったことで一般人から遊離した存在となります。宮廷儀礼もペルシア風となったことに加え、贅沢な衣装でも差を付けるようになります。従来の簡素な冠から、宝石をあしらった冠を被り始めたのもディオクレティアヌスです。そして自分のことを主人(ドミヌス)と呼ばせました。

 ディオクレティアヌスの帝政は、アウグストゥスから始まる帝政とは大きく性格を変えました。それ故、ディオクレティアヌスより前の帝政を元首政、以降の帝政君主制と区分します。

 303年、ディオクレティアヌスは即位19年目にしてはじめてローマに入り、国境を保ったことを祝っての凱旋式を執り行います。過去の皇帝たちほど豪勢なものではなかったようですが、記録されるべきものでした。なんとなれば、この凱旋式をもって、ローマでは凱旋式が行われなくなったためです。1つはローマが異民族の攻撃に対して受け身になったためであり、もう1つはローマが首都から転落したためです。

 同じく303年にはキリスト教の弾圧を開始します。後にディオクレティアヌスの大迫害と呼ばれるようになる事件です。キリスト教徒は皇帝の神聖化を認めず、軍務は拒否し、それどころか統治にも反抗的でしたから、余りの非協力ぶりに痺れを切らしたのです。

 5賢帝の時代にもキリスト教徒は弾圧されていましたね。執政官まで上り詰めた小プリニウスが皇帝に宛てた書簡に見られる通りです。それ以降もキリスト教徒であることを理由に兵役を拒否し続けた者は、理由のない拒否として処刑されることはありました。ただ、数は極めて稀だったようです。なにせ、何度も死刑になるから考え直せと説得されるのですから。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | ローマ3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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