2017年10月04日

ローマ3 ディオクレティアヌス5 軍政改革だけではなく、検地により住民は税金から逃れられなくなる

 カラカラが帝国内の全自遊人に市民権を与えてしまったため、辛い軍役を耐え忍んで市民権を得るというモチベーションが失われてしまったからです。兵士の成り手不足は異民族を軍に取り込むことにつながります。彼らは傭兵だったため、軍事的な問題は、なによりもまず財政的な、すなわち税制上の問題だったのである(前掲書)、ということになります。

 先に紹介した通り、ローマの国力が下がった時代に通貨は改鋳されて金や銀の含有率は下がっていました。それは即ちインフレだったことを意味します。301年には平価切下げと最高価格令が出されていますが、こちらは失敗に終わります。悪貨は良貨を駆逐するの言葉通りでした。インフレは進行し続け、その解決はコンスタンティヌスを待たなければなりません。

 ディオクレティアヌスは属州を100程度に細分化し、属州総督の力を削減して課税のために官僚制を整備します。広く浅く税を集めようとすれば、徴税のために多数の官吏を必要とするようになります。皇帝が官僚に支えられるという体制を見るのであれば、始皇帝に遅れること500年程度ということになります。

 任命された官吏たちは検地を行い農地にも労働力にも税金をかけます。この制度は人頭税(ユガティオ)、土地税(カピタティオ)の名前からカピタティオ・ユガティオ制と呼ばれます。一方、「税を払う者より税を集める者が多くなった」と同時代人から評価された通り、政府が巨大化してその分まで税が重くなりました。

 後にコンスタンティウス1世の時代には、商人のように土地を持たず物流で儲けを得る者には取引税が課せられることになります。

 ベンジャミン・フランクリンが、「この世で確かなものは死と税金だけだ」との名言を残しています。この嫌な2つのものからは逃れられないという意味です。私たちが税金を払うのを嫌うように、当時のローマでも重税を嫌って流民化した農民が都市に流れ込むという現象が起こりました。

 そこで、ディオクレティアヌスは世襲制を導入し、農民の絶対数が減らないように手を打ちます。それだけを見るなら妙手かもしれませんが、これは社会から流動性を奪うことになりました。また、軍人も世襲制になったため、事実上志願制から徴兵制に変わったのです。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | ローマ3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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