2017年06月06日

キリスト教の成立 エルサレム情勢1 ローマ兵の挑発によりエルサレムで暴動、ローマは弾圧に走る

 無節操ということは、説く相手のスタンスに合わせて態度や話す中身を変えることができる柔軟性を持つということでもありますから、ある思想なり宗教を広めるには強みになるでしょう。ただ、どうにもイエスの教えというより自分の主張を他人の権威に着せて広めているように見えてしまうのが(私の目の)困ったところですが。

 余りにもイエスの教えを無視することに最も我慢がならなかったのは、直接イエスから教えを受けた人々、つまりエルサレムに残った弟子たちでした。彼らによってパウロは失脚させられます。

 歴史はどう転ぶか分からないもので、パウロの教えは予想もしなかったことから復活を遂げます。それは、義人ヤコブが殺害され、エルサレムグループの力が後退したことです。

 少々エルサレムに目を向けましょう。

 イエスの死後、エルサレムでは反ローマの動きが強まっていました。ローマ側がユダヤ人を見くびり、粗雑な扱いをしていたことが間違いなく大きな原因です。

 ピラトが残虐で、ユダヤ人に 温情などかけようともしない人物だったことは触れましたね。48年に総督となったウェンティディウス・クマヌスもまた、ピラト同様にユダヤ人を蔑視していました。事件は過ぎ越しの祭りの際に起こります。祭りのように人々が集まってくるのは、強権で治安を維持する側には脅威にもなります。クマヌスは備えとしてローマ兵を神殿に配置します。

 神殿警備兵の一人が祭りの最中にズボンを下ろして裸の尻を民衆に向ける、という挑発行為を行ったことがきっかけとなって暴動が起き、クマヌスは軍を動員、民衆を虐殺します。混乱の中、兵士の1人がこれみよがしに律法を破り捨てたことで、ユダヤ人たちの不満は極限まで高まりました。

 こうした中、ガリラヤからエルサレムに向かうユダヤ人旅行者一行が途中のサマリアでサマリア人に襲撃される事件が発生します。ユダヤ人とサマリア人は嫌悪しあっていたのですね。ユダヤ人は裁判を提訴しますが、サマリア人から賄賂を受け取っていたらしいクマヌスはすげなく却下してしまいます。ユダヤ人の暴動が起き、蜂起したユダヤ人はサマリア人を殺害して回ります。この暴動でクマヌスは召喚され、アントニウス・フェリクスが代わります。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | キリスト教の成立 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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