2017年04月04日

ローマ2 ドミティアヌス7 ドミティアヌスは暗殺計画

 ダキアから帰国した後、ドミティアヌスは妻ドミティアの浮気の情報を得て彼女を離縁したことは既に述べましたね。独り身となっていたドミティアヌスは、兄ティトゥスが遺した娘ユリアと男女の仲になります。その後にドミティアと再婚しましたが、ユリアを遠ざけることはしませんでした。88年、後宮に住んでいたユリアは突然死します。口さがない人々は妊娠したユリアが堕胎しようとして死んだ、と噂します。ドミティアはこの件で夫を許せませんでした。

 ふと気づけば、元老院には反ドミティアヌス派があり、妻も親族もドミティアヌスに反感を抱いているという状況になっていたのです。

 陰謀は深く、静かに進められました。ネロ暗殺計画とは違い、元老院に広く仲間を募らないことで、少数の、真にやる気のある人々だけが集まったことになります。

 その中核に居た者として名前を挙げられているのは、親衛隊長官ノルバヌスとペトロニウス、侍従パルテニウスそして皇后ドミティアです。また、歴史家スエトニウスはエパフロディトゥスを自殺させたことを原因の1つに挙げています。エパフロディトゥスはネロの解放奴隷で、自殺を図っても死にきれずに苦しむネロにとどめをさした人物でしたね。彼は結果的に皇帝を殺したことになるとして、ドミティアヌスに自殺を強要されたのです。

 96年9月18日、ドミティア付きの解放奴隷ステファヌスが寝室でドミティアヌスを襲います。護衛が駆けつけたときには寝室は血に染まっていました。実行犯たちは殺害されましたが、既にドミティアヌスを救うには手遅れでした。暗殺は成功したのです。ドミティアヌスは44歳でした。

 ドミティアヌスがキリスト教を迫害していたことや、後の元老院が反ドミティアヌスに傾いたことで、彼は第2のネロなどと評されることもあります。タキトゥスや小プリニウスといった同時代の著名人もまた、ドミティアヌスをこき下ろしましたから、彼は暴君として名を留めることになります。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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