2017年03月22日

ローマ2 ポンペイ2 ポンペイの再発見 美術品を回収し、他は破壊していた当時の発掘

 1738年、ナポリ王カルロの夏宮殿建設中にヘルクラネウムが、更に1748年にはポンペイが発見されました。

 僅か一日で火砕流に埋め尽くされたポンペイからは、当時の色彩も鮮やかな絵や、壁に残された落書き、居酒屋のメニュー等、様々なものが出土しています。特に、火砕流にはシリカゲルに近い形の吸湿剤が大量に含まれていましたから、絵や文字に使われた顔料や染料が破壊されずに残ったのです。

 日光により褪色しやすい赤色も綺麗に残り、学者たちを驚愕させました。ローマ時代の赤は、今ではポンペイレッドと呼ばれています。

 発掘開始当初は、美術的な価値のある絵の回収のみが目的でした。そのため、重要と見られた絵を回収した後は、その他の物が盗掘されないよう、破壊していました。当時でもこのやり方は白い目で見られ、1765年以降は遺跡を温存する形で発掘が進められるようになります。

 アレクサンドロス3世を描いたモザイク画『イッソスの戦い』は、このポンペイで発見されたものです。騎乗して敵に迫るアレクサンドロス3世と、馬車で逃走するダレイオス3世の怯えた顔が対照的に描かれる名画です。

イッソスの戦い.jpg
(クリックするとイッソスの戦いのアレクサンドロス3世とダレイオス3世を示した絵が開きます)

 皮肉なことに、遺物が発掘され、遺構が外気と湿度に晒されるようになったため、約2000年間保たれてきたポンペイは急速に風化しつつあります。他の考古学遺物でも同じことが起こっているので、これは発掘に対する限界でもあるのでしょう。例えば、秦の始皇帝の兵馬俑では、色彩鮮やかだった兵馬俑が、発掘後に色が失われてしまい、今ではベース素材の色を見せるだけになってしまっています。

 逃げ遅れた者の遺体は、肉の部分は腐り果てて残りませんでしたが、遺体があった状態が空洞として残されていましたから、石膏を流し込むことで最後の姿を復元することが出来たのです。

 中には、幼児に覆い被さって、何とか我が子だけは災厄から救いたいと願った母親とその子の跡も見られます。母子はあるいは子どもが小さすぎて最初の噴火で避難できなかったのでしょうか。いつの世も変わらない母親の想いに胸を打たれると同時に、人間の営みなど簡単に破壊し尽くしてしまう自然のエネルギーの大きさに慄然とさせられます。



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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