2017年03月16日

ローマ2 ティトゥス2 即位2ヶ月でヴェスヴィオ山が大噴火を起こし、ポンペイの町が火砕流に飲み込まれる

 ティトゥスの即位2ヶ月後、ヴェスヴィオ山が大噴火を起こします。この噴火は何よりもポンペイを埋め尽くしたことで有名です。そして、次に有名なのが、後世博物学者として知られるガイウス・プリニウス・セクンドゥス(同名の甥と区別するため、大プリニウスと呼ばれます。以後、単にプリニウスと書いた場合、大プリニウスを指すこととします)が命を喪ったことでしょう。

 塩野七生の『ローマ人の物語 (8) 危機と克服 - 』では、この噴火は悲惨なものではあっても、ローマ史全体に占める位置を考えれば多くの筆を割くには相応しくないと軽く触れるだけですが、このブログは自分なりの通史を作り上げようという稀有壮大なものではなく、半可通が面白そうなことはなんでも書いてやろうという、極めて低い意識で書いているものですから、ポンペイについても時間とページを割いてしまおうと思います。

 ヴェスヴィオ山付近では数日前から火山性の地震に襲われていました。そして、8/24朝に規模の小さな噴火が起こります。この最初の噴火で町を逃げ出した者も少なからず居たかもしれません。貴族の夫人が、友人の大プリニウスに宛てた手紙が書かれたのはこの時のことです。

 地中深くに溜め込まれたエネルギーは、小規模な噴火では消尽されませんでした。昼頃、山の頂上付近を吹き飛ばす大噴火が起こったのです

 この頃、プリニウスは艦隊司令長官としてミセヌムに駐留していました。運命のこの日、妹から見たこともない雲が空にかかっていると告げられたプリニウスはいつもの通り勉強中でした。なにせ、プリニウスは睡眠時間以外はひたすら勉強に費やし、本を置くのは風呂に入る時くらいだったとされる書痴の先駆けですから。そして彼は好奇心の人でもありました。直ちにもっとも見晴らしの良い場所に移って噴煙を観察、異変が起こったことを自らの目で確認します。

 噴火の有様は、大プリニウスの甥で養子にしていた小プリニウス(その母と共に大プリニウスと同居していました)が書き残しています。その小プリニウスの証言によると、その雲煙の恰好や形は、他のいかなる木よりも松の木にそっくりでした。天空高く聳えた松の幹の如く、四方へ何本かの枝を伸ばしていました(『プリニウス書簡集―ローマ帝国一貴紳の生活と信条 (講談社学術文庫) - 』)ということです。この記録から、軽石や噴石を大量に噴出する噴火をプリニー式噴火と呼び習わすようになりました。

ローマ人の物語 (8) 危機と克服 -
ローマ人の物語 (8) 危機と克服 -

プリニウス書簡集―ローマ帝国一貴紳の生活と信条 (講談社学術文庫) -
プリニウス書簡集―ローマ帝国一貴紳の生活と信条 (講談社学術文庫) -


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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