2017年03月11日

ローマ2 ウェスパシアヌス3 ユダヤ戦争に勝利したティトゥスはローマに凱旋し、執政官となる

 ティトゥスによるユダヤ包囲戦については、後にキリスト教成立についての項で書きますので、ここではユダヤ戦争についてこの戦いの間にローマに下ったフラウィウス・ヨセフスというユダヤ人歴史家によって細かい記録が残されていること、最後に包囲された者たちはほぼ全滅するまで戦い抜いたこと、そしてユダヤの神殿から奪った財宝は途方もない量だったことだけ書いておきましょう。

 ローマのやり方では、破城槌が城門に当たる前に降伏すれば許されるのですが、その後は降伏しても許されません。ルール通り、生き残ったものは奴隷として売られたり、剣闘士競技で殺されたりと悲惨な末路を辿ることになりました。タキトゥスは死者と捕虜を合わせて60万人との数字を伝えています。

 神殿は破壊され、大祭司長職も廃止されました。そして、エルサレムにはローマの1個軍団が常駐するようになったのです。

 ただし、これらの処置はエルサレム攻撃時に籠城し、最後まで戦い続けたユダヤ人に限定されました。例えばアグリッパ2世が統治する北部は以前同様の自治を認められています。また、他の都市に生きるユダヤ人(その総和はエルサレムにいる人口より多かった)に対しても弾圧は行われませんでしたし、棄教も要求されませんでした。そういう点で、ローマは寛大だったと言えるでしょう。

 ユダヤから奪った金銀がローマに流入したため、シリアからの金の値段は半分にまで暴落したそうです。それにしても、ユダヤ教に限らず、信仰に生きることを教えるはずの宗教団体がとんでもない資金を集め、教団トップは考えられないほどの贅沢をするのは何なのでしょうね?

 ここで大量の財宝を手に入れたことは、フラウィウス朝が危機に瀕していたローマ財政の立て直しのための資金を得たことを意味しました。

 71年、ユダヤ戦争に勝利したティトゥスは帰国すると凱旋式を挙行します。そして親衛隊長に任じられ、以後は父ウェスパシアヌスと共同の執政官を長く務めることになります。皇帝になった際に何を行えばよいのかを経験する素晴らしい機会になったことでしょう。思えば後漢が暗愚な皇帝の連続で崩壊していったのは、皇帝が若くして死に、何の経験もない子供が帝位に付くことでまともな統治が行われなくなっていったことにあります。こうした帝王学を学ぶ機会がそれ以前の皇帝にも与えられていれば、あるいはローマも暗愚な皇帝を出すことを避けられたかもしれません。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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