2017年03月10日

ローマ2 ウェスパシアヌス2 ウェスパシアヌスは息子ティトゥスを後継者に定め、ユダヤ戦争の継続を命じる

 この時点ではウェスパシアヌスはティトゥスに委ねたユダヤ戦争の経緯を見るため、エジプトに滞在中でした。このエジプト滞在中、興味深いパフォーマンスが行われています。彼が盲人に触れると目が開き、足が不自由な者に触れると元気に歩きだす、というものです。ナザレのイエスが行ったのと同じ奇跡ではありませんか。こうしてみると、東方では人気のあったパフォーマンスということが分かります。

 70年11月になって、ウェスパシアヌスはようやくローマに入ります。留守中はムキアヌスが10ヶ月に渡って見事な采配を振るいましたので、混乱はありましたが、それでもウェスパシアヌス体制が固まっていくに連れ、ローマは平時の状態を取り戻していきました。

 となると、重要なのはウェスパシアヌスの得た権力を息子にすんなりと継がせることで、混乱なく権力移譲を成し遂げることです。そこで、ウェスパシアヌスは後継者と決めていた息子のティトゥスに箔をつけさせるため、ユダヤ戦争の継続を命じています。

 当時のローマでは、ユダヤ人はエチオピア人の末裔というのが支配的な見解だったようです。エジプトから出たという説については、人口飽和によりアッシリアから逐われた人々がエジプトで一部地域を支配し、そこからエルサレムに戻った、というものがあるそうです。それも輝かしいものではなく、「身体を膿汁で汚す疫病」(らい病?)が流行した際に感染者が荒野に捨てられ、彼らが生き延びた末だ、という説をタキトゥスが紹介しています。彼に拠ると、ユダヤ人がブタを食べないのは、ブタが疥癬に罹りやすく、疥癬を見るとかつて自分たちの祖先を冒していた病を思い出すからだ、というのです。信憑性はともかく、由来としては面白い伝説です。

 もっとも、タキトゥスは『同時代史』でユダヤ人に対して「風俗習慣は忌わしく汚らわしく、その存在意義を主張するのは旋毛曲りである」ですとか、「神々を軽蔑し祖国を否認し、親子兄弟を重んじない」などと随分と見下した書き方をしているので、このあたりを差っ引いて考える必要がありそうです。私にとっては(他のあらゆる宗教と同じく)ユダヤ教の教えに対して帰依したい何かを感じるわけではありませんが、信じたい人は勝手に信じてくれ、というところで、なにも貶す必要はあるまいに、と思われてしまいます。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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