2016年08月11日

ポエニ戦争 第3次ポエニ戦争 ハンニバル亡命3 シリアは陸海で敗れ、アンティオコス3世はシリアに逃げ帰る

 ペルシア戦争の時に、レオニダス1世が300人の兵士とともに(ペルシア軍に迂回されたと知る前は同盟軍の兵もいましたが)ファランクスを組んで、ペルシアの大軍を良く防いだのがこのテルモピュライでしたね。

 往時のペルシア戦争におけるテルモピュライの戦いと全く同じように、攻撃側が山側の防衛線を突破することで、勝敗は決します。敵兵の倍を擁するローマは抵抗を排し、ギリシアへ入ることに成功します。アンティオコス3世は少数の船でギリシアから去り、小アジアへと戻りました。

 この頃ようやくある程度の船をしつらえたハンニバルは、シデの近くのエウリュメドン河口においてローマ側に付いていたロードス島の艦隊と衝突します。ハンニバルは一歩も引かなかったのですが、右翼艦隊を率いるセレウコス家のアポッロニウスが敗れて撤退を始めたことで、退却に追いやられます。こうしてロードス艦隊はハンニバル艦隊を港に封鎖させることに成功しました。港から出ることのできない艦隊など、何の意味もありません。ハンニバルは逼塞を余儀なくされます。

 この頃、ローマ側の司令官として執政官ルキウス・コルネリウス・スキピオが赴任します。どこかで聞いたような名前ですね。そう、ハンニバルを打ち破ったあのスキピオ・アフリカヌスの兄に当たる人物です。コルネリウス・スキピオも第2次ポエニ戦争にも身を投じているのですが、弟のスキピオ・アフリカヌスが余りにも威名を轟かせたため、あまり知られていません。

 スキピオ・アフリカヌスはこの時、助言者として兄に従っています。また、軽装騎兵の指揮を取るのはかつてハンニバルの信頼を集める部下だったムッティネスです。人種差別に嫌気が差してハンニバル不在のシチリア島からローマに亡命した人物でしたね。ローマはこうした異民族の亡命者も上手く使いこなしていたのに、カルタゴはハンニバルという天才1人すら持て余したのです。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ポエニ戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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