2016年06月27日

ポエニ戦争 第2次ポエニ戦争 アルプス越え6 何とか生き残ったカルタゴ軍と、人肉食の事例

 この後も中央部では激烈な戦いは続きますが、徐々に生き残りが谷へ出てきます。そして日が暮れるとケルト人は撤退し、傷つき疲弊した兵士たちが続々と姿を現してきます。

 更に峡谷を進むと、やがてハンニバルたちの前に巨大な岩が現れます。防御に格好の場所で、ここに。陣地を構えて後続部隊が追いつくのを待つこととしました。翌日、落伍者が追いつくのを待って出発します。

 その後も散発的な攻撃はあったものの、大きな犠牲は出さずにすみます。やはり、正面切っての戦いではカルタゴ軍が圧倒的に有利でした。山頂近くで2日間の休憩を取ります。幸運だったのは、多くの荷駄動物が追いついてきたことでしょう。なにせ、荷物の運び手として極めて有能なだけではなく、非常時には食料にもなるのですから。人間相手ではこうは行きません。

 もっとも、春秋時代に斉の桓公が「儂はまだ人間の赤子は食べたことがない」と言ったのを聞いた易牙という佞臣が自分の子どもを殺して料理して差し出した話や、同じく春秋時代に晋の文公が放浪していた時代に飢えて倒れたところ臣下の介子推が己の腿の肉を切り取って君主に差し出した話、籠城したために食料が欠乏して人々が互いに子どもを交換して食べた(自分の子に手をかけることは出来なかった)話、三国志の劉備が流浪していた時、家に泊めてくれたある主人が奥さんを殺して劉備にご馳走してしまった(劉備は感謝したそうです)という話もありますから、何事にも例外はあるものです。

 尚、劉備の話は史実を元にしたフィクションである三国志演義に見える話で、演義の成立が明代であることを考えると、三国時代ではなく明代の人々にとって、このような時に妻を殺して目上の人に振る舞うのは吐気がするような悪行とは思われていなかったことは示しているでしょう。翻訳では、このエピソードは削除されています。正義の味方である劉備がこのようなことに手を染めることは日本では受け入れられないためでしょう。

 1972年にウルグアイの空軍機が雪山に墜落した事件では、72日後に救出されるまでの間に、生き残った人々が死んだ者の肉を食べて飢えを凌いだという事例もあります。恨みを晴らす手段として、自分の子供の肉を食べさせるという話はハルパゴスの事例等で触れていますね。

 話が大きく逸れました。山頂付近になんとか辿り着いたカルタゴ軍に話を戻しましょう。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ポエニ戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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