2016年05月23日

ローマ 共和制の成立5 ウェルギニウスの自滅と高潔の士カミルスの対照的な人生

 幾らなんでもこの行いは卑劣です。ウェルギニウスは民衆の力を借りて反乱を起こします。10人委員会は平民に引き渡されないことを条件に屈服します。アッピウスはウェルギニウスに捕らえられます。アッピウスは、自由人を不正に奴隷にしてはならないとの法律を盾にとって裁判を起こしますが、権力を失ったかつての支配者に味方は居ませんでした。敗訴し、彼がかつて嘲った牢獄に入れられます。望みを失ったアッピウスは自殺して果てました。前449年のこととされています。

 第二次世界大戦の際、日本はインドネシアを占領すると、オランダ人がインドネシア人の政治犯を収容するために作った地下牢へ入れています。そこは不潔で不快で、オランダ人たちは猛抗議しています。勝手な話ですよね。他人にするのは良いのですから。アッピウスの勝手な振る舞いは、他人を見下したらどこまででも人間は残酷になれる、悲しい証拠なのでしょう。

 卑劣な人物のことを書いて少々食傷気味ですので、今度は高位に上りながら高潔な人柄で知られたマルクス・フリウス・カミルスに触れておくことにします。

 12表法成立により、ある程度は富裕層と市民の差は埋まり、執政官と護民官による体制でローマの一体感は過去よりも高まっていました。しかし、それは近隣諸国との関係とは関係ないことです。相変わらず、ローマは敵対的な勢力に囲まれていました。特にエトルリアの都市ウェイーはローマから近く、優れた技術力を背景に大きな脅威でした。

 攻撃は最大の防御、という面は確かにあります。カミルスは金城湯池と謳われたウェイーへ遠征し、10年間も攻囲戦を続けました。これだけ長い戦争状態は、まだ小さなローマには大変な負担でしたから、カミルスは独裁官に選ばれます。彼はウェイー中心部へ向けて地下を掘り進み、陽動作戦として城外から一斉攻撃を仕掛けると同時に地下道からも町に侵入します。こうなると防御側には勝ち目がありません。町は陥落して住民は奴隷とされ、神殿は略奪を受けて女神ユノの像はローマに運ばれました。

 大勝利に気が大きくなったのか、カミルスは凱旋式で白馬4頭立ての戦車に乗るという失策を犯します。白馬の曵く戦車は神々の乗り物を意味していましたから、冒涜と受け止められたのです。


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ラベル:ローマ カミルス
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ローマ1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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