2016年04月04日

ヘレニズム期 セレウコス朝シリア7 パレスチナのユダヤ人、セレウコス朝との関係を巡って互いに争う

 この9割9部ほど内輪もめの権力闘争が、遠征中のアンティオコス4世にはエルサレムで反乱勃発と伝えられました。シリア軍は直ちに引き返すと、たちどころに騒乱を鎮圧します。

 鎮圧後、アンティオコス4世はユダヤ人に対して圧政をもって応じるようになります。エルサレムを破壊し、自治権を奪い、おまけに安息日と割礼を禁止して信仰にまで介入します。信仰で民族的アイデンティティを保ってきたユダヤ人達が黙っていられるはずもありません。ユダヤ人はマカバイ家の指導の下に結束、大反乱を起こします。

 前165年にはエルサレムからシリア軍と親シリア派の司祭を追い払い、信仰を回復します。この勝利を祝い、ハヌカと呼ばれる祭りが今も行われています。

 アンティオコス4世は反乱を力で抑えようと図りますが、志半ばにして前163年に急死し、幼い王子がアンティオコス5世として即位します。

 セレウコス4世の息子のデメトリオスはこの当時ローマに人質として送られていましたが、アンティオコス4世の死を聞くとローマを脱出してシリアへ帰還します。そしてまだ幼いアンティオコス5世を暗殺してデメトリオス1世として王位に付きます。

 アンティオコス5世の短い御代に、シリア軍はエルサレムを囲む等、ユダヤ人相手に優勢戦いを進めていましたが、デメトリオス1世即位の混乱とその後のセレウコス朝シリア政権内部の権力闘争から遠征を続けられなくなります。ユダヤ人にとってはまさに神の恵みに思えたことでしょう。結局、シリア軍はユダヤ人がセレウコス朝シリアの宗主権を認めることを条件にユダヤ人の信仰を守ることを認めて撤退しました。

 外患が無くなれば内紛が待っているのは信仰に生きる人々も同じで、セレウコス朝シリアの軍事的脅威がなくなった途端に、セレウコス朝シリアからの完全独立を求める一派と、それは現実的ではないとして和平を続けるべきだとする一派の間に激しい争いが生じます。宗教者も人の子、権力亡者なのです。

 和平派はシリア軍を呼び込み、独立派は徹底抗戦の挙に出ます。独立派はシリア軍を破る快挙も見せますが、最終的には独立派のリーダーが戦死し、和平派が力を増します。

 ところが、この翌年に和平派のリーダーまで死んでしまうと、独立派リーダーの弟ヨナタンが大祭司に就任します。ヨナタンは自分の権力基盤を強化するために反シリアから親シリアへと立場を転換、弱体化していたシリアから将軍や共同統治者の称号を得ます。親シリア路線は成功を収め、前142年にはエルサレムからシリア軍を撤兵させることに成功します。



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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ヘレニズム期 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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