2016年03月29日

ヘレニズム期 セレウコス朝シリア1 セレウコス朝の王の系譜

 セレウコス朝シリアはバクトリアからアナトリアをも継承しています。アパメーの父スピタメネスがバクトリアに拠って反乱を続けたことを考えますと、アパメーを離縁しなかったことにも政治的な影響があったのかもしれません。これを含めて2人の間に生まれた息子アンティオコス1世について見てみましょう。アンティオコス1世はセレウコスの生前から共同統治者に任じられ、東側の首都セレウキア(勿論、セレウコスに因んだ都市です)の太守を務めます。

 アンティオコス1世がスピタメネス血筋を引いていることから、東部地域を把握させるのに向いていると判断されたと考えてもおかしくないでしょう。

 セレウコスはセレウキア以外にも多くの都市を建設したことで知られます。また、彼が王朝を建てた前312年を起点としたセレウコス紀元を制定するという興味深いことも行っています。どう考えても、人間にすぎない王が死ぬ度に年の数え方を変えるよりも、何らかの起点からの経過年を使用する方が計算が楽です。嘘だと思う方は、三国時代の呉の元号、黄武3年から鳳凰2年までが何年か考えてみてください。黄武3年は西暦224年で鳳凰2年は西暦273年であるのを見れば一目瞭然ですが、元号ではうんざりする規則を覚える必要があります(しかも、覚えたことは他に全く役立たないのです!)。しかし、紀元を使えばこのような非合理的な考えからは脱却できるわけです。世界中で紀元が使われている理由が良くわかりますね。

 尚、最古の紀年法はバビロニア王ナボナサールが即位した前747年を紀元とするものとのことで、アレクサンドリアの天文学者が使用した形跡はあるようですが、他に使用されているところは確認されていないということです。一方のセレウコス紀元は中世まで使われたそうですから、歴史的な意味合いから言えばセレウコス紀元の方が重要だったことになります。

 さて、セレウコス朝シリアは、セレウコス1世の時代に大きく勢力を伸張させますが、アンティオコス1世以降は徐々に衰退していくことになります。多民族国家をギリシア流のやりかたのみで統治することに無理があったのでしょう。

 セレウコス朝シリアの王を並べてみましょう。

セレウコス1世ニカトル(在位前305年〜前281年)

アンティオコス1世ソテル(在位前281年〜前261年)

アンティオコス2世テオス(在位前261年〜前246年)

セレウコス2世カリニコス(在位前246年〜前225年)

セレウコス3世ケラウノス(在位前226年〜前223年)

アンティオコス3世(在位前223年〜前187年)

セレウコス4世フィロパトル(在位前187年〜前175年)

アンティオコス4世エピファネス(在位前175年〜前164年)

アンティオコス5世エウパトル(在位前164年〜前162年)

デメトリオス1世ソテル(在位前162年〜前150年)

アレクサンドロス1世バラス(在位前150年〜前145年)

デメトリオス2世ニカトル(在位前145年〜前138年)

アンティオコス7世シデテス(在位前138年〜前139年)

デメトリオス2世ニカトル(在位前129年〜前126年)

 デメトリオス2世→アンティオコス7世→デメトリオス2世の流れは、デメトリオス2世がパルティアの捕虜になってしまったためにアンティオコス7世が王位に就きます。パルティアはセレウコス朝シリアでの混乱を期待して捕虜となっていたデメトリオス2世を釈放しますが、アンティオコス7世がパルティアとの戦いで敗死し、デメトリオス2世が復位したものです。

クレオパトラ・テア(在位前125年〜前121年)

アンティオコス8世グリュポス(在位前125年〜前96年)

セレウコス6世エピファネス・ニカトル(在位96前年〜前95年)

アンティオコス10世エウセベス(在位前95年〜前83年)

ティグラネス(在位前83年〜前69年)

アンティオコス13世アジアティクス(在位前69年〜前63年)


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ヘレニズム期 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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