2016年02月17日

アレクサンドロス大王 ベッソス捕縛 味方に裏切られたベッソスの悲惨な末路

 ハワク峠は険しい山道で、一歩足を踏み外せば転落死は免れない難所です。狭い山道に隊列は長く伸び、補給もままなりません。1万人の兵士が1列で行軍するとしますと、前の兵士との間隔を1mとすれば隊列は1万m即ち10kmにも及びますから、補給などできたものではありませんね。食料は自弁で自分で運ぶとはいえ、定期的に従軍商人から購入する必要がありますから、それができなくなったということです。やむを得ず荷運びの動物を殺して食料とするのですが、火を起こすこともできず、生肉を食べるしかありませんでした。

 ここで活躍したのが、東征軍に付いてきていた学者たちです。彼らは植物を調べ、病気を防ぐために野草の汁を肉と一緒に食べるよう指示します。現在の植生と同じであれば、現在も薬として広く使われているオオウイキョウ属の植物が自生していますから、これを用いたのかもしれません。

 幸い、ベッソスによる待ち伏せはなく、マケドニア軍は無事に下山します。ここでテッサリア騎兵に給金を渡して解雇、同時に退役年齢に達したマケドニア兵にも功労金を渡して帰国を許します。残った兵士から戦争終結まで付き従うとの契約を得ました。テッサリア騎兵は自分のウマも売り払って金に変えてしまったので、帰国には護衛まで付けました。元騎兵が騎兵に守られるというのは少々滑稽な図に思えてしまいますが、これからバクトリアの精強な騎兵を相手にするマケドニア軍には1頭でも多くのウマが必要だったのでしょう。

 兵士の疲れが取れるまで休養し、オクソス川へ進撃します。

 ベッソスはオクソス川の北へ渡っていました。しかも、マケドニア軍が後を追えないよう、船を徴発して焼いていました。アレクサンドロス3世はテントに干し草を詰めて縫い合わせた即席ボートで渡河します。

 アリアノスの『アレクサンドロス大王東征記』では、この後であっさりとベッソスに追いつくのですが、『アレクサンドロス大王東征を掘る : 誰も知らなかった足跡と真実』によりますと、この間も熾烈な抵抗が続いていたようです。そうであれば、アレクサンドロス3世の接近を知ったベッソスの側近がベッソスに従うことを拒んで彼を捕縛し、アレクサンドロスに引き渡した理由が良くわかります。

 ベッソスの側近スピタメネスから内応の報せを受けたアレクサンドロス3世はプトレマイオスを派遣、彼は捕縛されたベッソスを確保し、アレクサンドロス3世に処置を訪ねます。結局、ベッソスは裸にされて絞首台に乗せられ、道路脇で鞭打たれてアレクサンドロス3世と見えることになります。

 アレクサンドロス3世はなぜ主君で親族でもあるダレイオス3世を裏切ったのかと問い詰めますが、ベッソスとしては自分たちが生き残るためとしか答えようがありません。ペルシアの流儀に従い、鼻と耳を削ぎ落とされ、更にハマダンに戻って裁判の末に処刑されます。

 処刑前に肉体の損壊といった過酷な罰を与えるのは中国の刑罰と似ています。秦の末期に李斯が全く同じように鼻や耳を削ぎ落とされた後に腰斬という苦しい処刑方法で殺されることについて、このブログで見ることになるでしょう。

 ベッソスを倒してもバクトリアとソグディアナは支配に服しません。ベッソスの後を継いだのは、彼を裏切った張本人のスピタメネスです。彼はベッソスの親族でもありました。

 スピタメネスはゲリラ戦でギリシア軍を苦しめます。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アレクサンドロス大王 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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