2016年02月13日

アレクサンドロス大王 ダレイオス3世追討5 ペルシア中枢でのクーデターとアレクサンドロス3世の急追

 6月、侵攻ルート沿いに食料の備蓄を完了させたアレクサンドロス3世は、満を持してダレイオス3世追討の軍を起こします。ダレイオス3世はペルセポリスの北方600kmの距離にあるエクバタナに逃げ込んでいたのですが、エクバタナでの抗戦を諦め、アフガニスタンへ向かいます。アレクサンドロス3世もまた、カブール砂漠の西端を横切る過酷なルートを踏破し、エクバタナを接収してアフガニスタンへとダレイオス3世を追います。

 占領されたエクバタナはアレクサンドロスが集めた金銀財宝を集める場となります。クルティウスはペルセポリスからエクバタナへ運ぶためのラバが3万頭に及んだと書き記しています。プルタルコスはラバ1万頭とラクダ5,000頭としています。数は大げさになっているのでしょうが、膨大な宝物が運ばれたことは間違いありません。

 砂漠の辺縁を進むとはいえ、昼は太陽が照りつけますから、昼間は休み、夜間に行軍します。

 逃げるダレイオス3世は断崖絶壁に挟まれた隘路、カスピ門で抗戦を図るのですが、ここでも断念し、更に闘争を続けます。

 アレクサンドロス3世は、タラに到着した際に、昨夜ダレイオス3世が側近によって囚われの身となったことを知らされます。

 ダレイオス3世排除の直前、逃走を続けるペルシア残存勢力の間では、ダレイオス3世の不運の連続を鑑み、別人を王に臨時の据えようとの意見が大勢を占めます。アレクサンドロス3世を打ち破ってマケドニア軍をペルシアから駆逐した後に王権を返還すれば良いというのです。歴史上、そのようなことは行われたことがありません。どう転んでもダレイオス3世に王位が戻ることは無いことは明白でした。

 代理の王に推挙されたのは側近でバクトリア州総督のベッソスです。彼はまたダレイオス3世の親族でもありました。ダレイオス3世は一時的なものであっても王位禅譲を拒否します。業を煮やした側近たちは、宦官たちが泣き叫ぶ中、ダレイオス3世に黄金の足枷を付けて幌付きの馬車に押し込んで連れ去りました。

 ベッソスのこの行動に、行動を共にしていた大貴族アルタバゾスが離反、アレクサンドロス3世の陣営に身を投じます。ベッソスの動向はこのアルタバゾスから伝えられたのですね。

 アルタバゾスは数奇な人生を送った人物です。その先祖は、ダレイオス1世の即位時に大きな功績を立てたオタネス(取るべき体制について、民主制が良いと主張した人です)に遡る、名門中の名門出身です。その父のファルタバゾスはペロポネソス戦争でスパルタ側に立って参戦したり、アルキビアデスの亡命を受け入れたり(後に反対派を無視できなくなり、首を斬ることになります)と、大きな活躍を見せた人物です。

 父の所領が叔父に乗っ取られたため、メントル、メムノン兄弟の力を借りて復権しています。このこともあり、娘のバルシネをメントルに与えました。このバルシネこそ、メントル死後にメムノンと再婚し、更にアレクサンドロス3世の愛人となった女性です。

 一度はペルシア王に反旗を翻して敗北、フィリッポス2世治下のマケドニアへ亡命したこともあります。しかし、心はペルシアにあったのでしょう。帰国するとダレイオス3世の忠実な臣下となりました。

 ペルシア軍の通過ルートは狭隘な山道で、難民でごった返していました。同じルートを辿っては追いつくことは不可能です。そこでアレクサンドロス3世は少数の騎兵部隊と共に、約80kmの途中で水の補給ができない迂回ルートを進んでダレイオス3世を急追します。しかも、騎兵が疲れきっていたため、精強な歩兵から500名をにわか仕立ての騎兵にしての追跡でした。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アレクサンドロス大王 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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