2016年02月07日

アレクサンドロス大王 ガウガメラの戦い1 両軍の内訳と配置

 アレクサンドロス3世は西進して一路バビロンを衝くのではなく、ダマスカスから北上してアレッポ、サプサカス、ニシビスとアッシリアの故地を周って北方からバビロンを目指します。遠回りのようですが、暑さと補給の難易度を考えてのことです。ダレイオス3世もバビロニアから北方に軍を進め、バビロンから約320km北方のアルベラに至ります。そしてアレクサンドロス3世がユーフラテス川を超えた場所を確認すると、周囲の田園地帯を焼いて焦土作戦に出ました。

 行軍中の9/20、ほぼ皆既に近い月食が起こります。占い師のアリスタンドロスはこれを吉兆であると読み解き、アレクサンドロス3世を喜ばせました。

 ティグリス川を渡って4日目、アレクサンドロス3世は前方にペルシア軍騎兵隊の姿を認めます。敵騎兵の数は1,000に満たない程度と聞いたアレクサンドロス3世は、自ら騎馬隊を率いて敵に接近、捕虜を得ます。そして捕虜からの情報により、ダレイオス3世が近くにいることを知りました。

 マケドニア軍はその場で4日間休憩を取ります。休憩後、前方の丘陵を越えたところでペルシア軍の大軍勢が今や遅しとばかりに待ち構えていることを知ったのです。

 ダレイオス3世が決戦の地に選んでいたのは、ガウガメラです。騎馬戦に有利な広大な土地で、更に土地を平らにならして戦車戦にも持ち込めるように準備を整えていました。イッソスの戦いで一敗地に塗れたダレイオス3世は、決戦兵器として鎌付き戦車が中央に100両、左右両翼に各50両の合計200両準備されていました。鎌付き戦車とは、車軸から何本もの鎌が横向きに、車体には下方に向けた鎌が取り付けられているもので、近寄ろうものなら鎌で切られてしまう、下を潜ることもできないというものです。

 精強な騎兵も多数揃えていました。特に、左翼にはバクトリア騎兵1,000、スキタイ騎兵2,000に加え、バクトリアの総督ベッソスが指揮する8,000騎が控えています。それぞれ騎兵で有名な地域なので、さぞ強力な軍勢だったことでしょう。

 ダレイオス3世は今回もまた中央におり、ギリシア傭兵部隊を据えています。それに選りすぐりの騎兵部隊を揃え、前述の鎌付き戦車を全面に配置していました。

 右翼を固めるのはシリアとバクトリアの総督マザイオスの率いる騎兵部隊です。

 アレクサンドロス3世はペルシア軍の陣容をしっかり観察します。ただ、この時には既に戦いを行うには時間が遅く、やがて日が暮れます。側近は闇に乗じての夜襲を進言しますが、アレクサンドロス3世は「私は勝利を盗みたいとは思わぬ」と撥ね退け、翌日の決戦を指示します。

 一方のペルシア軍は、夜襲に出るわけでもなく、かといってマケドニア軍の夜襲に備えないわけにもいかず、完全武装のまま緊張に満ちた一夜を過ごしました。人間の緊張力はいつまでも続くものではありません。ペルシア軍は夜明けには肉体的に消耗し、精神的には集中力が切れた状態でした。夜が明けた時には、既に両軍の意気は大きく異なることになっていたのです。

 戦端が開かれたのは、前331年10月1日のことです。

 アレクサンドロス3世は圧倒的に優勢なペルシア軍に包囲されることを防ぐため、戦列を2重にし、左右両翼の端を鉤状に斜めに配置します。右翼にはマケドニアの騎兵ヘタイロイ部隊、左翼にはテッサリア騎兵を配し、中央にはファランクスを据えます。ペルシア軍は中央に鎌型戦車を揃え、騎兵の長い隊列で迎え撃ちました。。

 両軍の距離は5.5キロ。両軍の兵力を比較しますと、マケドニア軍は歩兵40,000、騎兵7,000に対してペルシア軍は歩兵200,000(1,000,000との記録もあるそうです)、騎兵34,000と圧倒的にペルシア軍有利な状況でした。


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posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アレクサンドロス大王 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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