2016年01月15日

アレクサンドロス大王 フィリッポス2世の軍制改革5 アレクサンドロス3世誕生と少年時代の逸話

 占いは見事に的中し、オリュンピアスは妊娠していました。前356年7月26日未明に生まれてきた息子は、アレクサンドロスと名付けられました。ご存じの通り、獅子のように勇ましいといえば獅子が謙遜するほど常に勇気と共にあった人物で、アレクサンドロス大王の名で知られることになる人物です。

 アレクサンドロスは、片方の目は夜の闇を、もう片方の目は昼の青空を抱くと謳われましたので、もしかすると左右の虹彩の色が異なる虹彩異色症(オッドアイ)だった可能性があります。もちろん、昼も夜も支配するということを詩的に表現しただけかもしれませんが。

 フィリッポス2世にとって、オリュンピアスは政略結婚として結ばれた4人目の妻に過ぎず、愛情を注いだ最後の女性でもありませんでした。いくらエキセントリックなところのある女性とはいえ、彼女の息子が単なるボンクラでしたら彼女の名前は歴史に残ることは無かったでしょう。

 少年時代のアレクサンドロス3世について、いくつか伝説めいた逸話が残されています。フィリッポス2世の建てる数々の武勲を伝え聞き、「父上が先に何もかも取ってしまう」と嘆いたというもの。あるいは、ペルシアからの使者に対してペルシアの交通路やペルシア王の振る舞いについて質問し、使者たちを驚かせたというもの。駿足だったためにオリンピック競技に出ることを勧められた際に「王たちが相手ならね」、と応えたもの。

 中でも有名なのは、駻馬を手なづけた一件でしょう。商人がテッサリアのウマを商いにやってきます。そのウマの肩には雄牛の頭の烙印が押されていたため、「雄牛の頭」を意味するブケファロスと呼ばれていました。その売値、なんと13タラントン。普通のウマなら0.2タラントン程度でした。それどころか当時のギリシアでは1タラントンの財産があれば富裕層に数えられたのですからとんでもない値段です。しかも、値段はべらぼうに高いのに、気性が荒く、迂闊に近づくことすらできない有様でした。

 アレクサンドロス3世は、ブケファロスが自分の影の動きに怯えていることを見抜き、太陽を見させて落ち着かせます。

 どうして気性が荒く誰も引き取り手のないウマが類を見ないほど高額なのか、気性が荒くて近づくことすら出来ないウマにどうやって太陽を見させたのか、疑問は尽きません。事実に即した話ではないのでしょう。伝説は伝説として楽しむのが良さそうです。

 ただ、アレクサンドロス3世がブケファロスをこよなく愛したのは事実です。彼の短い人生の殆どはこのブケファロスと共にありました。

 アレクサンドロス3世は、13歳の時に父が招いたアリストテレスに師事しています。アリストテレスのマケドニア滞在は前342〜335ですから、アレクサンドロス3世が20になるまでの多感な時代を稀代の大学者と過ごしたことになります。

 フィリッポス2世の時代から、貴族の高弟が王子と共に学ぶようになっていました。アレクサンドロス3世と共にアリストテレスに学んだ人物を挙げていきますと、ヘファイスティオン、プトレマイオス、ペルディッカス、セレウコス、ハルパロス、ネアルコス、エリギュイオスと、後の遠征で大きな役割を果たすことになる錚々たるメンバーです。教わったのは政治学、倫理学、地理学、生物学、民俗学、医学と幅広い分野です。当時では望みうる最高の教育を与えられたと言えるでしょう。

 アリストテレスが教育係を辞した後にアテナイに戻り、リュケイオン創設したことは述べた通りです。学校創設、運営に当たってはアレクサンドロス3世からの援助があったと伝えられます。アリストテレスが教育係を引き受けた裏には破壊された故郷スタゲイラ復興という目的有りました。十分に元をとったと言えるでしょう。


面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^

人気ブログランキングへ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
posted by 仲井 智史 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アレクサンドロス大王 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
面白いと思ったら押して下さると嬉しゅうございます^^
人気ブログランキングへブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村